私は医師ですが 生命の危機 ( 糖尿病 ) はこうして脱しました。私の糖尿病との闘病について紹介したいと思います。
多くの糖尿病患者が糖尿病という病気をなめている
糖尿病と言われても、どこも痛くない。何も困らないから、治療なんて必要ない。第一、忙しくて病院なんか行く暇はありません。そうでしょう。よくわかります。私自身もそうでした。私自身が、糖尿病をなめていた張本人ですから。
糖尿病が強く疑われる人、約 890 万人。糖尿病の可能性が否定できない人、約 1320 万人。合計、約 2210 万人と推定(2007年厚生労働省「国民健康・栄養調査」)。糖尿病と、その予備軍といわれる人たちの数です。
日本の人口の約 6 分の 1 40 歳以上の 3 人に 1 人は糖尿病か、その疑いあり、なのです。しかもこの数は、10 年前の 1.6 倍。糖尿病は年々、うなぎのぼりに増えています。
にもかかわらず、医療機関で治療を受けている患者の数は全国で 237 万人( 2008 年時点 )。すでに糖尿病を発症しているか、糖尿病が疑われる人の、わずか 10 人に 1 人という少なさです。こんなに糖尿病が蔓延しているのに、なぜ、治療を受ける人が少ないのか。それは、みなさんが糖尿病をなめてかかっているからではないでしょうか。
右を向いても糖尿病。左を向いても糖尿病。「糖尿病、みんな一緒なら怖くない」そんな心境ではないでしょうか。しかし、みなさんは糖尿病の本当の怖さをまだ知りません。糖尿病が進行して、重大な合併症を併発すると、5年生存率はわずか50%です。
糖尿病は、ガンに並ぶほど生命の危険のある病気なのです。そして何を隠そう、この私こそ、いまも生命の危機に瀕している糖尿病患者なのです。そもそも、「糖尿病」という名前がよくありません。これでは糖尿病がどんな病気か、わかりません。糖尿病は「尿に糖が出る」といった曖昧な病気ではなく、血管がボロポロ、ズタズタになる病気です。
むしろ、「血管ボロボロ病」とでも名づけたはうが、よはど病気の危険性を意識できるのかもしれません。
「病気には 2 つのタイプがある」ということです。「病気」と開いて、みなさんの頭にどんなイメージが浮かぶでしょうか。風邪をひいたとき、薬をもらったら 3 日で治った。ガンが見つかったけど運よく早期のガンで、手術で取り除くことができた。多くの人はこういう、医者が介在すればおおむね解決できるような病気を想像するのではないでしょうか。
ところが、世の中にはもう 1 つ、別のタイプの病気があります。自覚症状がないまま進行し、発見されたときにはすでに発症から何十年もたっていて、体はボロボロ状態。突然血管が破れたり詰まったりして倒れるまで、本人にはほとんど自覚症状がありません。
そんな病気の代表が、糖尿病や高血圧症や、それに引き続いて起きる腎不全です。糖尿病は、みなさんが思っている以上に、恐ろしい病気なのです。
糖尿病の場合、糖尿病と診断されたときには「血糖値が高い」とか「ヘモグロビンA1Cが高い」と言われるだけで自身には特段、自覚症状がないのです。
糖尿病でも何 1 つ困らない
私が最初に糖尿病を指摘されたのは、30 歳くらいのことだつたと思います。自分のことなのになぜはっきり覚えていないのかというと、医者のくせに糖尿病に何の興味もなかったし、そんなに怖いものとも思っていなかったからです。
たしかその頃計ったヘモグロビンA1C 6.1 % 以上は糖尿病の可能性がきわめて高い) は 7.2 %くらいでした。身長は 182 cm 体重は 140 kg を超えていました。当時研修医だった私は、毎日を手術の際の麻酔に従事していました。研修医ですから、無論、サービス残業はあたりまえ。むしろ、サービス残業を自分から買って出て、一例でも多くの症例を体験することをよしとしていた時期です。
月~金曜日は朝7時までにはオペ室に入り、その日の麻酔の準備をします。受け持ちの手術が早く終わると、長くかかっている手術の応援に行きます。当直ではない日でも、帰りが20~21時になるのはあたりまえの毎日です。
はじめのうちはみんな無給ですから、土日はアルバイトに行きます。休みらしい休みはたまにめぐってくる 5 週目の土日だけ。いま考えるとブラック企業のような労働環境だと思ってしまいます、驚くことに、忙しいのは研修医だけでなく、それを指導する先輩医師たちも、当然のように夜中まで働き続けていました。
本当に、先輩たちには頭が下がりました。そんな忙しい毎日の中で楽しみといえば、やっぱり食べることでした。いまでも思い出します。病院近くの定食屋の牛めし、レストランのミックスフライ、救命センターの前にあった店の激辛カレーうどん。
手術のあと、あるいは手術の合間をぬって、5分で食べてまた手術場に戻ります。早食いの典型でした。夕方になって少し手が空いて医局に戻ると、昼飯を食いっぱぐれた人の残りの弁当が必ず1つや2つありました。私はデブの大飯食らいなので、残っている弁当はありがたくいただき、そのあと9時過ぎ頃から、夜の町で食事兼お酒の毎日です。
焼き鳥、焼き肉、なべ、中華、そしてシメは豚骨ラーメン。夜中の1~2時頃家に帰り着き、仮眠程度に休むと5時30分には起きて7時までには手術場に入ります。そんな不健康な毎日のなか、私が糖尿病に気づいたのはアルバイト先の総合病院でした。
急に気分が悪くなり、内科の医師に診ていただいたところ、大先輩にあたるその先生から、「君、糖尿病だよ」と指摘されました。気分が悪くなった原因は糖尿病ではありませんでしたが、考えてみれば、あたりまえのことです。
身長が182cmぁっても、体重は130kg台をウロウロ。こんな状態で、糖尿病ではないほうがおかしいくらいです。しっかり生活習慣を改善しないといけないと強く思ったのは数字だけでこのあと自分が糖尿病であることをいっさい無視しました。
あのときなぜ糖尿病と向き合わなかったのか。いくつかの理由はあります。糖尿病だからと仕事を休んだり、早退するなんてことは考えられませんでした。また、糖尿病になると食事制限がつきものなので、食べられなくなることがいやでいやでしかたがありませんでした。そして極めつけは、糖尿病だからといっても、私自身まったく不自由を感じていなかったのです。
ヘモグロビンA1Cは、10%を超えて腎機能も急激に悪化
その後約 10 年、なんら治療をするでもなく、食事に気を遣うでもなく、好きなものを食べ夜中の遅い時間まで酒を飲んで、毎日楽しくやっていました。そんな私でも、40 歳を迎える頃、変なことに気がつきます。
140kgあった体重が、食事制限をしたわけでもないのに130 kg 120 kg 110 kg と減り始めたのです。「こいつはもしかして糖尿病は治っているのかもしれない」などとバカな期待をしながら血液を調べると、ヘモグロビンA1Cは 10 %を超えていました。
この頃はインスリン療法をスタートさせたばかりで、たしか朝と昼に 4 単位くらいのインスリンの注射を打っていました。当時の記憶がほとんどないのは、私にまったく糖尿病だという意識がなかったからです。
しかしこのときも、何も驚きませんでした。だって、口が渇いてたくさんお茶を飲む以外、何も困ったことはなかったからです。健康診断もなかなか受けるところまで気が回らないのが本当のところです。
私が毎年健診を受けるようになったのは、10 年ぐらいたってから公務員になってからです。公務員になると、毎年きちんと健診を受けるように通知が届き、受けないと何度でも書類で通達をしてきます。
これには私も根負けをして、しぶしぶ健診を受けました。この頃から「まずいな!」と思い始めたのは、尿にタンパクが出だしたのです。尿タンパクは陰性(-)が正常ですが、私は2+でした。じつは、私は腎臓の奇形があり、腎機能自体やや低いことは学生時代から指摘されていました。そこへもってきて、どうも糖尿病性腎症がすごいスピードで進んでいるようです。
私はあわてて、血圧のコントロールを始めました。腎機能を保つためにまずするべきことは、血圧を下げることです。ごこの期に及んでもなお食事制限がいやで、糖尿病の食事療怯はしませんでした。薬で何とかなるなら、薬で何とかしたい!
降圧剤で 130 mmHG を超えないように努力しました。血圧の勉強をまじめにするようになったのも、この頃からでした。
クレアチニンの基準値は男性で 0.6 ~ 1.1 mg / dl ですが、1.2 → 1.6→ 2.0 mg /dl と悪化していきました。
これはいずれ透析導入は間違いないと腹をくくったのが45歳の時です。実を言うと、このときもそんなに危機感はありませんでした。だって透析をするからといって、私自身そんなに困るとも思えなかったのです。透析の大変さ、つらさを何もわかっていなかったのです。
現在は、クレアチニンを下げるこういった健康食品 「 純炭粉末 きよら 」もあります。
きよら は、クレアチニンを下げる以外に糖尿病で悪化要因となっている AGE も排泄してくれます。
まずは、糖尿病が恐ろしい合併症を招く病気だということをしっかり認識しなければ意味がないのです。
食前野菜療法を開始
この年の 9 月は、私の減量の歴史のうえでも忘れられない時期です。それは私が、キャベツダイエットの講義を東京で拝聴する機会を得ました。l時間の講義のあと、私は素直に「やってみよう」と思いました。腎不全が進行している最中になぜダイエット? 自分でもわかりません。糖尿病に腎不全が重なれば、食事療法はますますむずかしくなります。
正直なところ、私はパニックに陥っていたのかもしれません。何とかしなくては。何をしたらいいんだろう。糖尿病治療かな? とりあえずやせなければいけない!。こんな感じだったと思います。12月に私が本気でダイエットを開始した日です。体重は、120kg、ヘモグロビンA1Cは、12%。このダイエットで、キャベツにはいちばん世話になりました。
でも、キャベツだけだと飽きてしまう。それにキャベツだけしか食べられないなんて、お先真っ暗です。私は、吉田先生の考え方のエッセンスを私なりに解釈して、野菜全般をたくさん食べることにしました。とにかく 1 回の食事で 400 ~5 00 g なるべく食事の最初のうちに野菜だけを食べて、そのあとおかずを食べる。
ご飯が大好きな私は、この野菜とおかずを食べ終わったあとで、200 g くらいのご飯を少量の漬け物や佃煮でいただきました。
ダイエットを始めて、最初の 2 週間で約 15 kg 減りました。あとは少しずつ、でも確実に、ときどき停滞期を迎えながら、体重は減っていきました。同時に、ヘモグロビンA1Cも 8.6 % に、そして7.4 % → 6.6 % → 5.1 % と、劇的に低下していきました。
体重は 6 ヶ月間で 40 kg の減量に成功しました。これが、私がいま行っている「食前野菜療法」の基本型です。大昔からの日本人の食性を考えたとき、ある程度(食事からの総摂取カロリーの50~60 %)の糖質をとりながら、グルコーススパイク(食後の急激な血糖の増加)を避ける。そんな方法はないかと模索するうちに、料理を食べる順番がとても重要であることに気づいたのです。
この食事療法を始めて、みるみる体重が減り、みるみるヘモグロビンA1Cも減っていきました。この頃、1 日40 単位打っていたインスリンは、低血糖を起こし始めたので思い切って中止しました。
いまでは何の薬も使わずに、ヘモグロビンA1Cは4.2~4.6% の間です。このくらいがんばれば、私の腎不全も進行が止まるかなと期待しました。しかし、クレアチニンは少しずつ、でも確実に上がっていきます。2.0→2.2→2.6。
これはまずいぞと、次には低タンパク食(弱っている腎臓にタンパク質は過剰な負担をかけるため、タンパク質の量を減らした食事内容)と減塩にチャレンジです。体重1kgあたり0.6g のタンパク質と、1日総量で4~6 g の塩分。大好きな肉は極力減らし、味つけもダシを効かせるなどして、薄味にしました。
このへんまでくると、食事療法もけっこう楽しくなってきます。なぜなら、努力したら努力した分だけ体重、血圧という数字に毎日跳ね返ってくるからです。
当然、お酒もいっさいやめました。減量することを考えたら、晩酌のお酒がばかばかしくなって飲む気がしなくなったのです。たまに結婚式などのつきあいで飲むと、次の日は必ず体重が1kgは確実に増えています。これを戻すのに1週間かかります。そのことを思うとだんだん飲酒から遠ざかり、いまではまったく飲んでいません。あんなに好きだったお酒を飲まない日がくるとは夢にまで思いませんでした。
本気ダイエットのおかげで体重、血圧、ヘモグロビンA1Cも好調だが…
どういうことでしょうか?
血圧は、120mmHG台。食事でとるタンパク質は体重kgあたり0.6g、塩分は1日4~6 g。腎不全によいと思われる薬は、ほぼすべて飲んでいます。それなのに、クレアチニンは6.0mg/dl向かって、少しずつですがまっすぐ上がり続けています。
いま血糖値がコントロールできていても、そう簡単に糖尿病はおとなしくしてくれません。そんな中、やややけを起こしたと思えないのですが、海外旅行を計画しました。
前から言ってみたかったロスに行く計画をたてたのです。
年末にアメリカへの旅行を計画したのです。しかし、尿毒症で気分は悪く、足はパンパンにむくんで、痛みで歩くのも一苦労です。せっかくのラスベガスの年越しの大花火のとき、私は気を失って倒れてしまうありさまでした。
帰国後、観念して病院に行くと、主治医のN先生は、「よくここまでがんばったと思いますよ」と声をかけてくれました。しかしすでにアシドーシスを起こすほど、尿毒症は進行していました。そのまま、入院。そして前年から準備していた、腹膜透析カテーテルを使い、CAPD(腹膜透析) のスタートです。
透析には腹膜透析と血液透析、そして両方を上手に利用する方法があります。私が腹膜透析を選んだ最大の理由は、自宅でできるからです。血液透析だと、週に3回、病院まで行かなければなりません。
実は当時から、すでに血液透析も自宅でできるようになっていました。それでも私が腹膜透析を選んだのは、「残存腎機能」というもう1つの理由があったからです。腎臓は尿をつくる臓器ですが、それ以外にも命をつなぐための大事な仕事を人知れずしています。
それを残すには、腹膜透析のほうが好ましいと考えたのです。
しかし、腹膜透析にはいくつかの問題点もあります。その1つが、細菌感染しやすいこと。糖尿病はばい菌に弱い病気です。それに加えて、お腹にいつも直径5mmの管(カテーテル)が刺さっているのですから、トンネル感染しやすく、そこから腹膜炎を起こすこともあります。
私も、トンネル感染を起こし、MRSAという抗生物質の効かないばい菌に感染しました。それはともかく、腎不全で90kgまで増えた体重は、腹膜透析の開始により10日で8kg減り、82~83kgをキープできるようになりました。
尿毒症、尿量の減少で起きていた浮腫が解消したからです。ここで調子に乗ったのがまた私のバカなところで、「この際、80kgを切ってみるか」などと変な目標を立てて再び食事療法を開始。すぐに具合が悪くなって中断。
主治医「ある程度タンパク質をとりなさい」と叱られて終わりです。以来私は、84~87kgの体重を維持しており、ヘモグロビンA1Cも毎月4.0~4.7% の間、早朝の上の血圧は上で140mmHGとやや高めですが、すでに糖尿病についてはほとんど克服したつもりでいました。
恐るべし糖尿病! 合併症との闘い
私が糖尿病の恐ろしさを本当の意味で心底感じたのは、頭に「糖尿病(性)」とつくさまざまな合併症に襲われたのです。糖尿病性腎症についてはすでに述べたように、私は腹膜透析をしています。この糖尿病性腎症のほか、糖尿病網膜症、糖尿病性白内障、糖尿病に合併することが多いといわれる歯周病、睡眠時無呼吸症候群、糖尿病性神経障害からくる動眼神経麻痔や下肢の知覚障害、さらに免疫力が低下して起きるさまざまな感染症、CAPD カテーテルのトンネル感染、足の爪白癬(爪水虫) などなど。
歯周病・虫歯
私は、糖尿病になってから歯が悪いです。何本かの虫歯がありました。ありましたというのは、ここ1年で死ぬような思いをして3本の虫歯を抜いてもらったからです。ことの始まりは、5年前、まだ腹膜透析を始める前のことです。右の鼻の中に違和感を覚え、中をさわりすぎるとしばしば鼻血が出るようになりました。
そのうち、いやな臭いの鼻水が出るようになり、「こいつは鼻茸だな」と自己診断していました。鼻茸とは、鼻の副鼻腔(鼻腔の周りを囲んでいる骨にある空洞。鼻腔に通じている)にかたまりキノコのような白い瘤状の塊ができるもので、別名「鼻ポリープ」ともいいます。慢性的な副鼻腔炎(蓄膿症) やアレルギー性鼻炎にともなうことが多く、私も副鼻腔炎で鼻の粘膜に炎症を起こしていたのです。糖尿病はばい菌に弱く、炎症を起こしやすいためです。初期のうちだとナタマメがよく効くそうですが、かなり病状が進行してしまった状態だと治療をしないと改善しません。
勤務先の診療所の直径5mmの胃カメラで鼻の穴の奥を観察してみると、見事なY3型、つまりエノキタケのようにくびれを持った鼻茸です。自分で何とかならないかといろいろ試したあげく、ペアンという物をつまむ道具でつまんで引きちぎつてしまいました。
耳鼻科の先生にひどく怒られました。ビックリするほど出血しましたが、このときは何とかおさまって、一時期治ったかに見えました。しかし、素人の荒療治。そんなにうまくいくわけがありません
半年もすると、再び鼻水がいやな臭いになり、再び鼻の奥に違和感が出ました。今度ばかりはバカな私も観念して耳鼻科の先生に診てもらいました。「全身麻酔で手術しないと治りませんよ」その際に「腎臓悪いの? 」そうなのです。この頃は、そろそろ透析しなければいけないかもしれない?と観念し始めていた時期でした。
「鼻がクサイから耳鼻科へ行って! 」女房のひと言で耳鼻科に行きました。耳鼻科の先生は、別件で10日ほど前に撮っていた私のMRIの画像をを見ながら、「何もありません。少なくとも上顎洞はきれいです」。そして、「いまのところ何も所見はありませんよ」
では、この異常な臭いは、何が原因なんだ?「歯が原因で骨髄まで炎症が達することはありますか?」つまり、虫歯のクサレが骨をつきやぶってのどまでくることはありますか、と聞くと、「ないことはないですね」と耳鼻科の先生。透析をする前から3本の虫歯がある私は、「歯を抜いたら治るかもしれませんね」と言われましたが確実ではない雰囲気でした。
ここで、一大決心をして中のよい歯科医に診てもらいました。菌を抜く前にレントゲン写真を振ります。いちばん疑わしい右の上の奥歯の写真です。歯根の骨はだいぶ溶けてボロボロですが、歯の根っこにできるのう胞は見あたりません。どうも、ただの虫歯らしいのです。
ところが、実際に歯を抜いてビックリ! 写真には写らなかったのに、立派なのう胞が、歯根にぶら下がっていたのです。これでクサイのは治るかもしれません。しかし、驚いたのはこれからです。歯ぐきからの出血は2 時間ぐらいで完全に止まったのに、鼻をかむと真っ赤な大量のクサーイ血液が、次の朝までどんどん出てくるのです。
こいつは、誰が何と言っても、奥歯のクサレが骨を食い破ってのどまで顔を出していたのだな?と、確信しました。
鼻からの出血は、2日間少しずつ続いたのち、ようやく痛みも臭いもなくなりました。恐るべし、糖尿病患者の虫歯。あのままなら、敗血症でも起こして死んでいたかもしれないと、少し背筋が寒くなりました。糖尿病の患者さんは、口がクサイことが多い。私もすごく気を追っています。毎日歯ブラシを持ち歩いていますし、家では超音波の歯ブラシでていねいに磨き、歯間ブラシも欠かせません。
糖尿病になってしまったら虫歯の治療は欠かさずに行いましょう。
網膜症・白内障
運転免許の更新のときです。もともと 1.5 以上の視力を内心自慢にがくぜん思っていた私は、免許センターでの視力検査で博然としました。視力は 0.6 何とか合格という屈辱的な経験をしたからです。同時に、老眼のメガネが合わなくなってきて、メガネ屋さんで新しいものを作ろうと視力検査をすると、技師さんに言われました。
「一度眼科を受診されてはいかがですか」もとの病気が病気ですから、いやーな考えがたくさん浮かびました。意を決して、内科の主治医がすすめる眼科医院で診てもらいました。診断は、「糖尿病性白内障」。
衝撃的でした。5年前からヘモグロビンA1Cは、5.0 %を超えたことがない私なのに、この期に及んで糖尿病性白内障が進行していたのです。8月頃はとくに左眼の視界が白っぽくなり、患者さんの耳の穴などを検査しょうとしても、ラーメンの湯気でメガネが曇ったような状態でした。どこを見てもうっすら白くて、満足に検査もできなくなってきました。
さらに私を不安に陥れたのは、この5年で完壁にコントロールしたはずだった網膜症が、増殖性網膜症に進行していたことです。網膜症は目の奥の光を受けるところ(網膜)の血管が詰まって血流不足を起こしている状態。
増殖性網膜症は、血流不足を補うためもろくて破れやすい血管が異常に発育して、被れやすくなった状態をいいます。これまた、かなり進行するまでまったく症状はなく、眼科に行かなかったら一生わからなかったかもしれません。
この網膜症で、これまでレーザー手術を左眼3回、右眼も4回経験しました。1回の手術で150発くらい、ジジジッツ とやられ、目の奥に何ともいえないいやーな痛みが走ります。この網膜症、放っておくと、失明します。7 回目のレーザー手術を終えて、そのときの眼科医、先生は言いました。「ハイ、これで10年後も失明することはないと思いますよ」私は失明の危機を何とか乗り越えることができました。しかし、人間は現金なもので、10年後に目が見えていても、10年前のレーザー治療のおかげだなんて、きっと思わないのでしょうね。
私には忘れられない日があります。私の父親が失明した日、私はそこにいました。父は寝たきりに近い状態で、再婚した女性に面倒を見てもらっていました。元来、左眼は事故でほとんど見えなくなっていたので、もっぱら右眼だけでモノを見ていましたが、ある日、外を眺めて父はこう言ったのです。「おい!今日は夕日がきれいだなぁ」まだ昼過ぎで、夕日が見える時間帯ではありません。
父の色覚がどうもおかしい…よく聞いてみると、見えていないところがあるようです。すぐに主治医に連絡を取りましたが、やはり眼底出血を起こしていたようです。その後、父は、両眼ともに視力を失い、これを契機に認知症が進行しました。
私が見舞っても兄との区別がつかず、いろいろなことがわからなくなっていきました。何も見えない。何もできない、わからない。父は、深い失望の中にいたのだと思います。しだいに何も語らなくなり、まるで人形のようになっていきました。私が27歳、医師になったばかりのときでした。実は父も糖尿病を患い、腎不全となって透析をし、高血圧症、脂質異常症(高脂血症)をも併発していたのでした。
そのときは、この父の姿が30年後の自分の姿だとはイメージできませんでした。白内障はわかりやすい病気です。明らかに視界が自っぼくなって、光が異常にまぶしく感じられて、モノが見えなくなります。ところが手術をすると、ウソのようにはっきり見えるようになります。
左眼を手術しました。右眼は急がなくてもよい程度でしたが、2週間に1度レーザー手術を繰り返すうちに、右眼の白内障も急速に悪くなりました。たった半年の間に、明らかに右眼の視界は白っぽなり、立体感がつかみにくくてイライラしました。「白内障が進んでいて、レーザーが届きませんね。なんだか急速に進行しているみたいです」と眼科の医師。そこで、右眼も白内障の手術をして、そのあとにもう一度右眼のレーザー手術をすることになりました。約半年かけて両眼の白内障手術、両眼の網膜のレーザー手術を終え、とてもさっぱりした気分です。
糖尿病性動眼神経麻痺(外転神経麻痺)
これでもう失明することもなければ、視野が白っぼくなることもありません。しばらく大丈夫と思っていたら、また、異常があらわれました。なんだか、チラチラします。モノがよく見えません。両眼の焦点が合っていないようです。
手でおさえて片方ずつで見ると、けっこうよく見えます。なのに両眼ではむずかしい。指を前にかざしてみると、なんとダブって2 本に見えるのです。「複視」が出現しています。左側にあるものは1つに見えるのに、右側にあるものは2つに見えます。鏡を見ながら近くを見て、寄り目にしてみます。若干縮瞳(瞳孔が収縮すること) した気がします。
この反射を「輻輳反射」といいます。脳神経病学のうろ覚えの知識でいろいろ考えてみると、MLF症候群(脳幹のMLFと呼ばれる場所に障害が生じ、一眼または両眼に内転障害が起きる病気。一眼の場合は脳幹部の脳血管障害が疑われる)
だとすると、本当にマズイ。すぐに脳神経外科の先生に連絡をとりました。「すぐおいで」と言ってくれたのですぐに行ったら、その場でMRIを撮ってくれました。さすがにこのときは覚悟を決めて、女房にも一緒に来てもらい、脳神経外科の先生の話を山開きました。
「MRIではどこにも異常がないので、糖尿病性の動眼神経麻痺でしょう」また、糖尿病の合併症かと落ち込みました。糖尿病の末梢神経麻痺は、多くの場合、3ヶ月ぐらいで治ります。手足のしびれや知覚障害は治りにくいのですが、目は治りやすい。
ホッとして家路につきましたが、やっぱり気持ちが悪い。右側にあるものはすべて2つに見えます。つまり、うるさい女房が右側にいると、女房が2人いるわけです。こいつは何とも気分の悪い話で、女房はなるべく自分の視界の左側にいてもらうようにしています。発症から約1ヶ月、まだ右側は二重に見えていますが、まっすぐ、はっきり、しっかり見えるようになりました。本当にありがたいことだと思います。
水虫(足の爪白癬)
私と水虫とのつきあいは、女房とのつきあいより深く長い。その始まりは、大学時代にさかのぼります。太ってはいたけれど、まだ糖尿病を自覚していなかったその頃、皮膚実習の指導教員から、「お前は糖尿病が出たら、一生水虫が治らないよ」と言われたのをよく覚えています。
それから約30年、よくなったり悪くなったりを繰り返し、たぶん一度も治癒しないまま、足の指の皮膚はボロボロとはげやすい状態です。糖尿病の患者さんは、爪を切るときに注意が必要です。
第一に、深爪しても糖尿病性神経障害のため痛くありません。切りすぎで深爪になると、すぐ出血します。そして最悪の場合、その傷から感染して壊疽の原因になります。ですから、私の診療所では、お年寄りの爪切りは必ず私がします。
私が診たわけではありませんが、糖尿病の足壊痕で、足白癬がスタートだった人がいました。この人は自分の足の具合を見るのが怖くて、数年の間靴をぬがなかったそうです。ある日、思い切って靴をぬいだら、足の指が全部取れていたといいます。
私の大先輩が経験した症例で、こんなケースもありました。実験で使っている液体窒素が足にこぼれてヤケドをしました。その人は医者でありながら、ご自分が糖尿病であることを知りませんでした。ヤケドが悪化して壊疽が始まり、結局足のくるぶしから下を切断するところ獲で進行したそうです。
糖尿病患者のフットケアの重要性はかなりものです。ここ4年ぐらいで、いつのまにか私の足の爪も一部白癬菌に侵されてきました。私は体が硬いので、自分の爪を上手に削れません。女房にお願いして電動ヤスリで磨いてもらいます。
歳をとったせいか、冬になると足のかかとがひび割れします。これもパックリと割れると、とても痛い。実は糖尿病患者の足は自律神経障害のために汗腺の働きが悪くなって、カサカサになることが多いのです。このかかとのひび割れがもとになって足の壊痘に進行した人を知っているので、足のひび割れのお手入れは必ずします。へたにひび割れを指ではがしたりすると、あとで痛くなったり血が出たり、最悪の場合は壊痘になります。
幸い私は壊痘を起こしたことはありませんが、起こしたら怖いので、1週間に1回のペースで白色ワセリンを足に塗っています。フットケアの研究会で勉強していると、非常に悪化した症例ばかりをたくさん目にします。でも、多くの症例に共通しているのは、「前からきれいにしていればこうならなかったのに」ということです。【第3類医薬品】大洋製薬 白色ワセリン 500gですから私も、一生懸命フットケアをしています。
睡眠時無呼吸症候群
糖尿病と合併率の高い、睡眠時無呼吸症候群(SAS)。最新の研究によると、2型糖尿病患者の36% はSASを合併していることがわかりました。どうやら睡眠中に呼吸が止まると、交感神経が緊張し、インスリンの効きが悪くなって血糖値が高くなるようです。
数ある糖尿病合併症のなかでも、私がいちばん最近になって指摘され、治療を開始したのがこのSASでした。SASが太った人に多いことは、2003年の山陽新幹線の運転士の居眠り事件で有名になりました。
私も130~140kgの巨体であった頃、夜中に突然いびきが止まって、「グアーグググ(約1分の沈黙)、再びグアーグググ」となっていることを女房に指摘されて、知っていました。このような、のどが閉まって息が上まるタイプを「閉塞型睡眠時無呼吸症候群(OSAS)といいます。
気になるいびきや歯ぎしりの対処方法と応急的処置
では、SASの何がよろしくないのか。教科書をひもとけば、いろいろあります。まず、昼間耐えがたい睡魔に襲われます。車の運転中や会議中は、とくに我慢できない睡魔がやってきます。自覚症状はこの睡魔と倦怠感。いくら寝ても寝足りない感じというやつです。
しかし、本当に怖いのはそんなことではありません。「血圧が下がらないこと」と「突然死」。この2つが、実はいちばん恐ろしいことなのです。私は、やせてから「OSAS]は治ったものと思っていました。実際、夜中のいびきはなくなり、女房も何も言わなくなりました。
ところが、ある日研究会の席で知り合いの医師から「あなたSASでしょ? 」と声をかけられました。「ウソだろう。SAS は治ったはずだけど」。でも、そういえばこの頃会議中、車の運転中、妙に眠い。この先生のすすめで、睡眠中の酸素飽和度を調べてビックリ。1時間に50回も息が止まっている! しかもspo2の最低が80%。
spo2というのは、指先で計る酸素飽和度です。健康な人なら通常、spo2は99~100% です(お年寄りやタバコを吸う人は96 %くらいが多い)。
研修医時代、測定機器で指をはさんでみんなで息を止めて、どこまでspo2が下がるか実験(競争)したことがあります。顔を真っ赤にして2分くらい息を止めても、spo2は96~97 %。救命救急センターに息も絶え絶えな状態で搬入されてくる気管支ぜんそくの人でも、80~90% です。
80%とは、ほとんど死にかけている状態です。「毎晩こんなことになっていたら、いつか死ぬ」本当にそう思ったので、すぐに治療を始めました。私のSASは、OSASとCSAS(中枢神経系の異常によって起きるもの。胸、お腹の呼吸ができなくなるSAS)の混合タイプでした。毎晩CPAP(持続陽圧呼吸療法)というマスクをつけて治療しています。
鼻から肺まで4~8mmHgの軽い圧がいつもかかっていて、空気の通り道を確保するのです。CPAPをスタートしてから、運転中の居眠りや会議中の眠気はいっさいなくなりました。そして何よりも、朝160mmHGを切ることのなかった上の血圧が、140mmHGを切るところまで下がってきたのです。これはうれしかった。
何を隠そう、私は筋金入りの治療抵抗性高血圧症(薬の効かない高血圧症)なのです。腎症を持つ治療抵抗性高血圧症は、上の血圧が150mmhGまで下がれば上出来とまでいわれていましたので、いつ脳卒中になるかとヒヤヒヤしていました。
20年前、私はCTのテスト運用の試験台になって、右側頭葉にあずき大の脳梗塞が見つかりました。その後も何回か別の病気の疑いでCTやMRIを撮るたびに、この右側頭の脳梗塞を指摘されてきました。
この脳梗塞は、いまも軽いままです。「SASなんて夜中に息が止まっているだけの病気だろ」と、みなさんバカにしていませんか?
でも、本当はとても怖い合併症なのです。こうした糖尿病の合併症と闘いながら、さらに追い討ちをかけるような事態が起こりました。1日250~500cc出ていた尿が、この1年で、1日50ccしか出なくなっていたのです。腹膜透析をしているにもかかわらず、腎症は確実に進行していることが身にしみました。さらに、CAPDカテーテルの出口部が感染したため、カテーテルの出口変更手術を行いました。このように死の何歩か手前までに、何回か行った年でした。
これだけは、忘れないでください。糖尿病は治りません。ヘモグロビンA1Cの数値がよくなっても少しその環境がよくなっただけのことだったのです。ヘモグロビンA1Cや血糖値の数値が安定して合併症の症状もよくならなければ次々、症状があらわれるのです。
糖尿病 血糖コントロールだけではだめなのか?
そうです。糖尿病は、血液の数値がよくなったらそれで治ったというわけにはいかないのです。AGEという糖尿病の合併症を引き起こす重大な原因の1つでもある物質のおかげで、そのあとも長いこと体のいろいろなところが壊れていきます。
AGEはタンパク質と糖が結びついた物質で、日本語では「終末糖化産物」といいます。いうなれば、糖の燃えカスみたいかもの。血液の中で過剰になった糖は、糖化反応によって血管壁のコラーゲンなど、さまざまなタンパク質と結合します。この糖が一部変性して、さらに糖と結合します。これが体内の細胞に取り付いて、細胞が死ぬまで体を傷め続けるのです。
ヘモグロビンA1C 8.0 以上が 10 年続くと網膜症になり AGE の蓄積で黄斑変性の危険大
私の血糖値はこの 5 年間で完璧に下がりました。にもかかわらず、この AGE という物常によって私の糖尿-柄は見えないところでまだ進行しているのです。
血糖コントロールなんかする必要がないのか。ところが、この研究はそれだけで終わりませんでした。その後、従来療法と強化療法の敷居をなくし、さらに追跡調査したところ、2年もたたないうちに従来療法・強化療法の間でヘモグロビンA1Cの差はなくなったにもかかわらず、10 年後には全死亡率、心筋梗塞、さらに脳卒中までも、かつての強化療法のほうで従来療法より良好な予後が得られたのです。
この結果は、何を意味しているのでしょうか?糖尿病は、10年くらいの短い期間で考えると、血糖のコントロールなどさほど意味のないように思えますが、20年、30年という長い期間で考えると、なるべく早い時期からきちんと血糖コントロールをすることが非常に重要だということを教えているのです。
私のように、途中からまじめに、徹底的に治療をしても、ほったらかしにしていた時代が長いと、体はその時代のことを忘れてはいないらしいのです。これが前述した「レガシー・エフェクト」、つまり遺産効果です。なぜほったらかしにしていた時代のことを体が覚えているのか、本当のところすべてがわかっているわけではありません。おそらくは、糖の最終代謝産物であるAGE がいつまでも体内に残り、少しずつ、しかむしばし確実に体を蝕んでいるのだと思います。もし私が20年前に治療を開始していたら… おそらく、腹膜透析など受けていなかっただろうし、5年生存率50%などという死の恐怖も味わっていなかったでしょう。
しかし、いまそんなことを思っても、所詮しかたのないことですが
手遅れにならないための「 3 つの習慣 」
手遅れにならないための「3つの習慣」5年生存率50%。ガンの治療などでよく聞く言葉です。これは、病気がわかった5年後に生きている確率が50%という意味です。糖尿病が進んで、透析を行うようになったり、大血管障害などを起こすと、5年生存率は50%。
大血管障害とは、脳や心臓の大きな血管の動脈硬化が進み、脳卒中、心筋梗塞などを起こすことです。ガンの治癒率は向上しているのに、糖尿病は、一部のガンよりタチが悪い。これが現実です。もう1度言います。みなさん、糖尿病をなめていませんか。何を食べてもいいですよ。お酒を飲んでもいい。肉を食べてもいい。運動しろと言われても、忙しくてできませんよね。しかたない。そうなんです。しかたないのです。何より、境界型だろうが糖尿病だろかうが、痛いわけでも痺いわけでもない。糖尿病は、一見どうということのない病気です。けれども、そのまま放置すれば、確実に「死」がそう遠くない未来にあるのです。それをまぬかれるには、まず、私が実践した「3つの習慣」を始めることです。死の淵に片足を突っ込んでいた私は、それによってこちら側に少しだけ連れ戻されました
「毎朝血圧を計る」「毎朝体重を計る」「食事は野菜から食べて、なるべく植物性のメニューにする」。長い糖尿病で膵臓がくたびれ果てた人は別ですが、たったこれだけでヘモグロビンA1Cがみるみる下がっていきます。
この私でさえみるみる下がりました。私のまわりでも、たくさんの人のヘモグロビンA1Cが下がっています。決定打ではないにせよ、かなりの人がこれでよくなる! そして、親がこの習慣に目覚めたら、子どもたちも自然によい習慣が身について、糖尿病になることはない。そう考えたら楽しくなつて、みんなにやってみようと、私の住む大岡地区に広めました。私たちの取り組みはあとで述べますが、少なからぬ人がインスリン注射から離脱でき、食事だけで血糖値をコントロールできるようになりました。
糖尿病は総力戦
私は、20歳代後半で糖尿病を発病し、それから20年近く放置していました。糖尿病は、この5年ほどは飼い慣らされたように見えて、本当はいまだに暴れ狂っています。高血圧症、脂質異常症、腎不全、糖尿病網膜症、糖尿病性白内障。
そして近頃では、睡眠時無呼吸症候群、右眼の糖尿病性外転神経麻痺、足の爪白癬菌、足の知覚障害などなど、すでに紹介してきたように本当に病気だらけです。
いまとなっては最善を尽くして、生き残る50%に入る努力をコツコツと完成させていくのみですが、内心は怖いです。本当に怖いです。たぶん、糖尿病は止まりません。残された身体能力をどれだけ大事に温存しながら生きていくか。私の人生はすでにそういうステージに来ていることを実感しています。この本は、20年後のあなたの恐怖を記しています。その恐怖を解決する方法にも触れています。
私は、自分の経験を通して、2つの大きな宝を得ました。1つは、患者さんの苦痛や悩み、そこへ陥るワナをみずから経験し、人の痛みや心境を共有する能力を得たことです。そしてもう1つは、この7年間取り組んできた、血圧管理、体重管理、塩分制限をはじめとする食生活が、私の家族にもキチンと受け継がれていることです。
私の寝室の枕元には、夜中毒素を排泄するCAPDというシステムが置いてあります。子どもたちは私の姿を見て、「エネルギーを充填している宇宙人みたいだね」と笑います。本当によい時代です。もし、薬やこのような機械の助けがなければ、私はいつあの世という宇宙に行ってもおかしくありません。
私たちが闘っている糖尿病という病気、そしてベースに横たわる動脈硬化というパケモノ。この闘いの相手は、姿も、気配も、痛みもなく、私たちや子どもたちをいつのまにかとりこ虜にして、ボロボロにします。
まるで幽霊を相手にするような、先の見えない闘いです。
でも、1 つはっきりさせておかなければなりません。いま、人類はこの大きな闘いのさなかにあります。これは、総力戦です。全面戦争なのです。私は、願わくばこの私の経験を、賢いみなさんの転ばぬ先の杖にしていただきたくて、記録したつもるです。糖尿病が疑われるあなた、予備軍と言われたあなた。いまからでも遅くありません。私が実践した3つの習慣を、ぜひ実行してください。そして、進歩した医療の力を借りながら、総力戟で闘っていきましょう。