内臓脂肪や肥満の原因に腸内フローラが深く関連している

ご飯もパンもうどんでもお肉も揚げ物も、食べすぎれば脂肪に変わる…。それはそうですが、同じような食事をしていても、太りやすい人もいれば、太りにくい人もいます。

もうお分かりのとおり、「太るか、太らないか=脂肪を貯めるか、貯めないか」の大事なポイントは、腸内フローラが握っています。

  • 太っている人と、やせている人では、腸内フローフの傾向が違う
  • 太っている人は「バクテロイデス門」が少なく、「ファーミキューテス門」が多い
  • 太っている人の腸内フローラを移植された人が、太った
  • 太っている人が体重を減らしたら、腸内フローラが良くなった

また、次のような実験があります。

無菌状態で育てたマウスに、太っている人とやせている人の腸内フローラをそれぞれ移植し、同じエサ、同じ運動量でおよそ1ヶ月間間育てたところ、やせている人から腸内フローラをもらったマウスには特に変化はなく、太っている人から腸内フローラをもらったマウスばかりがどんどん脂肪が増えて太っていきました。
しかも、人を変えて何度実験を行っても、同じ結果でした。

まったく同じ生活をしていても、腸内フローラ次第で、太ってしまうということです。

では、どんな腸内フローラだと太りやすいのでしょうか。ヒントは、「太っているマウスはバクテロイデス門が少なく、ファーミキューテス門が多い」ということにあります。

といっても、難しい横文字を覚える必要はありませんから、安心してください。重要なのは、太っているマウスの腸内では少なくなっているバクテロイデス門の腸内細菌は、水溶性食物繊維をエサに「短鎖脂肪酸」という物質をつくるということです。

この短鎖脂肪酸が、肥満を防いでくれることが分かってきました。

肥満にストップをかけてくれる「水溶性食物繊維」

太るというのは、脂肪細胞が紳胞内に脂肪を蓄えてパンパンにふくれる状態です。ひとつひとつの脂肪細胞が、血液中から栄養分をとり込んで、風船がふくらむように肥大化するのです。

腸内細菌がつくった短鎖脂肪酸は、腸から吸収され、他の栄養素と同じように血管に入って全身の細胞に運ばれるのですが、じつは、脂肪細胞は短鎖脂肪酸を見つけると、栄養分をとり込んで脂肪として蓄えることを止めるのです。つまり、短鎖脂肪酸は、肥満にストップをかけてくれる存在なのです。

一方で、短鎖脂肪酸が流れてくると、交感神経も刺激を受け、体温を上げたり心拍数を上げたりして、エネルギー消費を増やす方向に働くことも分かってきています。

というわけで、太りにくい体になるには、腸内細菌に短鎖脂肪酸をどんどん作ってもらうことが大切なのです。

バクテロイデス門の腸内細菌は、水溶性食物繊維をエサに短鎖脂肪酸をつくると説明しましたが、短鎖脂肪酸をつくってくれるのは、バクテロイデス門の腸内細菌だけではありません。ちなみに、バクテロイデス門は日和見菌に属する腸内細菌ですが、善玉菌を好む日和見菌と言われています。

少し難しいのですが、水溶性食物繊維をエサに善玉菌が短鎖脂肪酸をつくってくれる、ととらえていただければ十分です。

水溶性食物繊維が豊富な食事をしていると、それを好物とする善玉菌が増えて、そのお返しに短鎖脂肪酸をたくさんつくってくれ、私たちの体は太りにくい体になっていくのです。

ちなみにたまねぎやネギの水溶性食物繊維は毒素を排泄してくれる働きもあります。

内臓脂肪のためには肉や甘いものは、NG?

「糖質もたんばく質も脂質も、食べすぎて余れば、中性脂肪として蓄えられる」のはこちらの説明のとおりです。

ここで、1つ耳寄りなお知らせがあります。「脂肪をため込みやすい時間帯」と「ため込みにくい時間帯」があるのです。それは、「ピーマル1(BMAL1)」という物質が関わっています。

これは、体内時計を調節する機能を持ったたんばく質です。このビーマル1 には、体内時計が正常に働くように調節するだけではなく、「脂肪の分解を抑制して体内にため込みやすくする」働きがあるのです。

また、ビーマル1は、1日の間で作用の強さが変化します。個人差はありますが、おおむね、夕方6時ころから徐々に作用が強くなり、深夜2時頃にピークを迎えて、その後は徐々に作用が弱くなっていって、午後2時頃にもっとも弱くなります。

つまりは、ビーマル1の作用が弱まる午後2時頃は、1日の間でもっとも脂肪をため込みにくい時間帯なのです。

逆に、深夜2時前後はビーマル1の作用が強まっているので、脂肪をため込みやすい危険な時間帯です。
甘いお菓子には糖質がたっぷり入っているので、脂肪に変わりやすく、本来はあまり食べないはうがいいものですが無性に食べたくなる日もありますよね。

おやつを食べるのは時間帯には気をつけて、午後2時頃にとるようにするのがいいでしょう。また、「肉=太る」というイメージがあるかもしれませんが、脂肪分の少ない肉は、むしろ貴重なたんばく源です。

具体的には豚のヒレ・モモ肉、鶏のササミ、・胸肉などが脂肪分が少なくておすすめです。でも、霜降り肉が食べたい日もあるでしょう。そんなときにはディナーよりもランチがおすすめ。ビーマル1の作用が弱まる午後2時前後に食べてはどうでしょうか。

ちなみに糖質制限食では炭水化物の制限はありますが、肉の制限はありません。お肉が大好きなら糖質制限食でダイエットするのもおすすめです。

もちろん、脂肪をため込みにくい時間帯だからと言って食べすぎは禁物ですが。

炭水化物、たんばく質、脂質…何を食べても脂肪になる

どうして脂肪は増えるのでしょう?。当然、たくさん食べているからです。とここで、口から摂りいれた食べ物はどのような経路をたどるのでしょうか?

歯で噛み砕かれて唾液で柔らかくなった食べ物は、スルッと数秒で「食道」を通り抜けかゆて「胃」に送り込まれます。胃は、胃液をたくさん出してドロッとした粥状にして、少しずつ「小腸」の「十二指腸」に送り込みます。

十二指腸では、すい臓から「すい液」が、胆のうから「胆汁」が分泌され、それらと混ぜ合わされて、さらに消化・分解が進みます。そして、その先の小腸(「空腸」「回腸」) へ。

ここで、さらに小さく分解され、小腸の壁からほとんどの栄養素が吸収されていきます。小腸で栄養素の吸収が終わった残りカスは「大腸」へと運ばれ、そこで水分が吸収されて、さらに残ったカスと、古くなってはがれ落ちた腸の粘膜、腸内細菌の死骸などがひとかたまりになって便をつくり、最終的に「肛門」から押し出されていく- 。

これが、「消化→吸収→排泄」の流れです。

ところで、何か気になることがありませんか? 食べ物の残りカスが外に出て行くまではわかったけれど、小腸から吸収された大事な栄養素は、その後、どんな経路をたどるのでしょうか。

小腸で吸収される栄養素はどこに入っていくのかと言うと、小腸の表面にある突起の内側を走っている毛細血管とリンパ管です。そして2 とおりの道を通って、全身の細胞に送り届けられます。

まず、糖質やたんばく質、ミネラル、水溶性ビタミンなどは、腸の毛細血管から、「門脈」という血管を通って肝臓へと運ばれ、そこで栄養成分の加工・貯蔵、有害な成分の解毒が行われた後、静脈を通って心臓にいき、心臓から動脈に乗って全身の細胞へと運ばれていきます。

たとえば糖質、つまりど飯やパンなどの炭水化物や甘いものは、分解されて「ブドウ糖」として吸収され、肝臓で「グリコーゲン」という物質に作り替えられて一時的に貯蔵され、いろいろな活動のエネルギー源として利用されます。

ただ、余ったブドウ糖は、脂肪細胞に取り込まれて中性脂肪になります。たんばく質も、「アミノ酸」に分解されて小腸で吸収され、血液に乗って全身の細胞に運ばれて、体をつくる材料になりますが、余ったものは肝臓に運ばれて、一部はブドウ糖になり、その後は糖質と同じ運命をたどります。

つまり、エネルギーとして使われなかった分は、やっぱり脂肪細胞に取り込まれて中性脂肪になるのです。

一方、脂質や脂溶性のビタミンは、小腸の壁から吸収されたら、「第3の血管」と言われる「リンパ管」に入って、静脈を経て心臓にいき、その後、動脈に乗って全身の細胞に届けられます。

脂質は、細胞膜の材料などに使われるのですが、余ったものはやっばり脂肪細胞に運ばれて中性脂肪として蓄えられます。ちょっとややこしい説明になりましたが、ここで覚えてほしいことはたった2つです。1つは、小腸で吸収された栄養素は、どんな種類の栄養素も「血管L に入り、「血管』によって、全身の細胞に届けられるということ。

もう1つは、糖質もたんばく質も脂質も、食べすぎて余れば中性脂肪として蓄えられるということです。ですから、なんであろうと食べすぎると、内臓脂肪や、怖いエイリアン脂肪などの異所性脂肪が増えてしまうというわけです。

内臓脂肪を減らす信州長野県産 干しえのき茸の効果と使用感

行き場を失った脂肪が行き着く先は心臓の外側から毒素を送る

皮下脂肪、内臓脂肪に続いて「第3の脂肪」と呼ばれる脂肪があるのです。脂肪は、通常、脂肪細胞のなかにたまります。皮膚の下に集まっている脂肪細胞が皮下脂肪、お腹の部分に集まっている脂肪細胞が内臓脂肪です。

脂肪細胞は、250億~300億個あると言われていて、脂肪が増えると、ひとつひとつの脂肪細胞がパンパンにふくれていきます。それが「太る」ということです。

ところが、もっと脂肪が増えて、皮下脂肪にも内臓脂肪にも入りきらなくなってしまうと、行き場を失った脂肪は、心臓や肝臓、筋肉など、本来はつくはずのないところに居座るようになってしまう。これが、第3の脂肪です。本来いる場所ではないという意味で、「異所性脂肪」と呼ばれます。

異所性脂肪の怖いところは、ただ「いるべきところではない場所にいる」だけではなく、余計な毒素を出して、その臓器にダメージを与えることです。

たとえば、「肝炎」と聞くと、お酒の飲みすぎというイメージがあるかもしれませんが、お酒を飲まない人でも肝炎になることがあります。それを、「非アルコール性脂肪肝炎」と言うのですが、この原因がまさに肝臓についた脂肪です。

肝臓に余計な脂肪がたくさんつくと、肝臓の細胞が弱って死んでしまいます。それを、免疫細胞の1つである「マクロファージ」が取り囲んでパクパクと食べ続けているため、炎症が続き、非アルコール性脂肪肝炎になるのです。

肝炎は放っておくと、肝硬変、肝臓がんと進みます。そのはじまりが、脂肪なのです。

さらに、心臓のまわりについた異所性脂肪は、もっと怖い存在です。まず、心臓に酸素と栄養を送っている冠動脈に、細い血管を伸ばします。

一方で、免疫紳胞の1つである「マクロファージ」から見れば、本来はつかないところに余計な脂肪がついているわけだから、「見慣れない怪しいヤツがいる!」と、毒素を出して脂肪を溶かそうとするのです。

マクロファージは良かれと思ってやっつけようとするわけですが、結果的には、異所性脂肪は、冠動脈へと伸ばした紳い血管からじわりじわりと毒素を送り込んでしまい、冠動脈の老化を進めます。そして、最悪の場合、狭心症や心筋梗塞を起こして突然死を招くのです。

しかも、冠動脈の内側から進行する老化に比べて、冠動脈の外側から毒素を送り込まれることで進行する、こうした老化は、進行が速いとも言われています。背後から急に襲いかかってくる怖い存在- ということで、1エイリアン脂肪L と呼ばれています。

こうした異所性脂肪は、皮下脂肪にも内臓脂肪にも蓄えられなくなったために、本来はつかないはずの場所につくわけですから、よっぽど太っている人につく脂肪なのだろう、とお思いかもしれません。ところが、そうとも言い切れません。

いちばん危ないのは、昔は太っていなかったのに、大人になってから太った人です。昔から太っていた人は、もともと脂肪細胞の数が多く、脂肪を蓄える場所がたくさんあります。脂肪の「棚」がたくさんあるので、休も大きくなりますが、脂肪は一応ちゃんと棚に入っているわけです。

一方で、昔はやせていた人というのは、昔から太っていた人に比べて脂肪細胞の数が少ない。脂肪を蓄える「棚」が少ないので、そこまで太っているようには見えなくても、すぐに容量がいっぱいになって、余計な場所についてしまうのです。それが、肝臓で炎症を起こしたり、エイリアン脂肪となって心臓に毒素を送ったりするというわけです。

内臓脂肪にしても、異所性脂肪にしても、皆さんが思っていた以上に恐ろしい存在だったのではないでしょうか。

これらの脂肪は、つきやすいけれど、取れやすい脂肪です。「どうやったらいなくなるのか」と言えば、やっぱり大事なのは食事と運動です。特に脂肪としてたまりやすい炭水化物を控えることと、脂肪を燃焼してくれる有酸素運動が欠かせません。

肥満、高血糖、高血圧、脂質異常がそろうと突然死のリスクがアップする

内臓脂肪が増えると、血管にとって悪い指令ばかりが増えて、血圧、血糖値が上がり、血液がドロドロになります。なおかつ、脂肪が増えすぎると、脂肪細胞から遊離する脂肪まで出てきてしまい、血液中の中性脂肪が増えてHDL(善玉) コレステロールが減ります。

内臓脂肪が増えると、血管にとっては困ったことばかりが起きます。ところで、ぽっこりお腹(内臓脂肪)、高血圧、高血糖、そして中性脂肪の増加とHDLコレステロールの減少…と言えば、何か思い出すことがありませんか?

そうですメタボ(メタポリックシンドローム)です。
腹囲(おへその高さで測った胴回り)が「男性85 cm以上」「女性90 cm以上」で

  1. 「高血圧(上が130 mmHG以上または、下が85 mmHG以上)」
  2. 「空腹時の高血糖(110 mg/dll以上)」
  3. 「高・中性脂肪( 150 mg/dl)または低・HDLコレステロール( 40 mg/dl未満)」

のうち2つ以上が当てはまると、メタボと診断されます。

メタボの怖さを物語る「3倍の法則」というもの、ど存知ですか?

健康な人に比べて、高血圧の人、高血糖の人、脂質代謝異常(高・中性脂肪や低。HDLコレステロール)の人、肥満の人は、それぞれ3倍、心筋梗塞や脳卒中などの「血管事故」を起こしやすいという法則です。

「3倍」というのはざっくりとした目安ではありますが、いろいろな研究結果から3倍前後高まることは間違いありません。
ということは、「肥満+高血圧+高血糖+脂質代謝異常」がそろうと、「3×3 ×3 ×3 =81 」倍、血管事故が起こりやすいということ。

ちなみに、タバコも3倍ほど血管事故のリスクを上げるので、前述の4つに喫煙が加わると、243倍です。恐ろしい数字です。内臓脂肪が増える(=太る) と、高血圧・高血糖・脂質代謝異常も自ずとついてきやすいわけですから、太るということは、見た目の問題だけではなく、血管事故につながる階段を1段ずつ、いえ、3段飛ばして駆け上がっているようなものです。
突然死について詳細はこちら。

ぽっこりお腹は、見た目以上に血管と全身を老けさせる

30代、40代あたりから油断をすると、つい増えてしまうお腹まわりの脂肪。久しぶりに会った知り合いに「あれ、なんだか貫禄がでてきたねぇ!」なんてやんわりと指摘されて、「そうなんですよぉ」と笑いながらもちょっとショックだったなんてこと、ありませんか?

ぽっこりお腹の正体は、「内臓脂肪」です。女性はもともと女性ホルモンの影響で、「皮下脂肪」のはうがつきやすく、男性に比べて内臓脂肪はつきにくいのですが、年齢が高くなって女性ホルモンが減ってくると、内臓脂肪もつきやすくなってきます。「そういえば、だんだんウェストまわり、下腹が気になってきた」という方、少なくないはずです。

内臓脂肪がたまり、お腹がぽこっと出てくると、見た目がすっかりオジサン、オバサンになってしまいますよね。ところが、この内臓脂肪、見た目だけの問題ではありません。見た目以上に、体のなかでは深刻な問題が進んでいます。

少し前まで脂肪というのは、体温をキープしたり、内臓を正しい位置に保ったり、外からの衝撃を和らげるクッション役であるとしか認識されていませんでした。ところが、余計な脂肪は体にいろいろな悪さをすることが分かってきました。というのは、脂肪は単なるクッションのような存在でほなく、じつはいろいろな物質を分泌して、体にさまざまな指令を出しているのです。

  1. 食欲を抑える「レプチン」
  2. 血液中からブドウ糖の取り込みを促したり(血糖値を下げる)、傷ついた血管を修復する「アディポネクチン」
  3. 血液中からブドウ糖を取り込むのを抑制する「TNF・α」「レジスチン」
  4. 血管を収縮させる「アンジオテンシン」の原料となる「アンジオテンシノーゲン」
  5. 血液をドロドロにする「PAI・1」

これらはすべて脂肪から分泌されているものです。特に内臓脂肪はさかんに指令を出しています。そして、この1~5の物質のなかには、「良いモノ」 と「悪いモノ」がいます。
1と2は食欲を抑えたり、血糖値を下げて血管を修復してくれるのでイイモノ、3~5は逆に血糖値や血圧を上げたり、血液をドロドロにするわけですから、増えてはしくない悪いモノです。ところが、内臓脂肪が増えると、見事にいいモノの分泌は減って、悪いモノらの分泌が増えるのです。

つまり、内臓脂肪型の肥満になると、高血糖、高血圧になりやすくなり、血栓もできやすくなってしまいます。しかも、脂肪が過剰に蓄積されると、「遊離脂肪酸」として血液中に放出されてしまいます。エネルギーとして活用されればいいのですが、活用されない分は、肝臓で中性脂肪やコレステロールに変換されて、また血管に戻ってくるのです。

そうやって、内臓脂肪が増えるのに伴って、血管のなかではブドウ糖も中性脂肪もコレステロールも増えていきます。たとえて言うなら、「使用済みの揚げ油」が排水管を流れているようなものです。当然、排水管(血管)は、詰まりやすく、傷つきやすくなってしまいます。

そんな状態が続いていると、やがて血管はしなやかさを失い、硬くなってしまうのです。さらに、血管の内側にコレステロールがたまっていくと、血液の通り道が狭くなっていき、血流が滞るようになっていきます。これが、「動脈硬化」です。

さらに、血流が滞るということは、全身の37兆個もの細胞に酸素と栄養が十分に運ばれなくなるということですから、全身の細胞が飢餓状態になってしまいます。そうすれば、全身の老化につながることは容易に想像できます。

内臓脂肪が増えると、血液の状態が悪化し、血管が老化し、全身の細胞への酸素と栄養の供給がスムーズにいかなくなり、全身が老化する。「ぽっこりお腹」の陰では、血管と全身の老化が静かに進行しています。

賢い医者の選び方、医者との接し方

医者と向き合う心がまえのようなものを知っていると知っていないでは治療をすすめるときにもきっと大きく役立つでしょう。
「さわらぬ神に崇りなし」と言えば言いすぎでしょうが、医者にかかわることなく人生を送ることができれば、それが一番なのは言うまでもありません。しかし現実には、医者とかかわりをもたなければいけない場面もあるかと思います。
ある時期までは、医者との接し方なんか考えたこともなかった人が大手術のために大病院で入院したり、ガンになって病院のお世話にならなければいけない日が案外簡単にやってきます。

患者にはならない

医者に一切かかるなという意味ではないので勘違いしないでいただきたいと思います。医者にかかる際のみなさんの姿勢を述べているのです。「患者」の立場にまで、自分の身を貶めてはいけない意味なのです。

みなさんが素直に〝患者″」になりきってしまいますと、それはまさに医者の思うツボです。医者は「患者」に接する場合には、安心して医者を演じることができるのです。そして医者は強者、患者は弱者という図式が、どこまでも変わらなくなってしまいます。インフォームド・コンセントや、患者の権利、セカンド・オピニオンと言ったところで、所詮は強者である医者が、強者であることをカムフラージュするための1つの手段にすぎないのです。

医者と患者の立場がはっきりしている限り、医者としての建前が前面に立ちはだかり、まさに医者主導の、建前通りの治療が展開されることになつてしまいます。なぜならば医者にとってはそれが一番慣れているスタイルであり、快適な形ですから。
相手の土俵で相撲を取るのは負けが決まっているようなものです。それは医療現場でも同様です。医者に接するときに、「患者」という立場はすこぶる不利になります。
理想は「友人」そうでなくても最低限「クライアント」という立場を崩してはなりません。そうでなければ、本音の医療はどんどん遠いのいてしまうでしょう。

したがって「先生」「お医者様」「患者」「診てもらう」「治してもらう」「薬をいただく」「お任せします」などという言葉は死語にしてしまうほうがいいのです。

主治医は自分と考える

そもそも、自分の命は自分自身のものなのですから、自分の命の責任は自分自身が持つべきです。このことは、なにも医者に一切かかわることなく、すべて自分で対処しろということではありません。
もちろん専門家である医者を活用することが賢明な場合も多々あるでしょう。医療機器や医療施設のお世話になることも当然あると思います。

しかし、最終決定は自分でするべきだということです。なんでもかんでもすべて医者任せというのは、いただけないことです。
家を購入する際には、住宅メーカー任せという人はいないはずです。自身で情報を集め、ある程度の知識を得る努力をされるのが普通です。

家に限らず、大切な物を購入したり、あるいは人生を左右する重大事を決めたりする場合には、いろいろとアドバイスは受けるかもしれませんが、最終的には自身で決定するはずです。大きな手術や治療が医師任せになってしまうのはおかしいのです。

知識を付けて、自分自身で考える

無知は明らかに寿命を縮めます。たとえば家を購入するとき、予備知識もなく、情報収集することもなく、いきなり住宅メーアーを訪れるということはないはずです。
ある程度の知識、少なくとも質問をする程度の予備知識は持って、業者と接するはずです。まして自分の命にかかわることとなれば、ある程度、病気や健康、心身についての知識を持つことは、自分の命を守るための必須条件だと思います。そういったことに全く無関心ということであれば、それは健康を放棄したことと同じと言えます。家を購入する例で言えば、家を買う資格がないということです。

ただし、情報を数多く入手すればそれでいいということではありません。集めた情報を取捨選択する力も必要です。そのためには科学的なもののとらえ方、論理的な考え方も必要になります。

科学的、論理的という言葉が難しければ、自然な考え方、まともな発想と言い換えてもいいかもしれません。まずは、自分の頭で考えて判断することが大切です。
特に日本人は、他人の頭に頼る傾向が強いようです。テレビ、知り合い、うわさで判断するのではなく、情報を入手したら自分の頭で考えるということです。他人はあなたのためではなく、他人そのものの利益のために考えているだけなのです。

たとえば「肥満症」のところでも触れましたが「今までにない画期的なダイエット! 」というキャッチフレーズを見つけたとしましょう。
もしかしたら、本当にそうなのかもしれません。しかしその確率はどうでしょうか。そこで考えてみるのです。今までに星の数ほど多くのダイエット方法が出現しては消えていった事実。

なぜ今までに決定打がなかったのか、なぜ今回は決定打なのか。星の数ほどあるというそれ自体が、決定打はないことの動かぬ証拠ではないだろうか。そう考えるのが、自然な発想ではないでしょうか。「ここだけのいい話」というのも同じだと思います。おいしい話に釣られる人が意外に多いのには驚きますが、そのようないい話があなたのところにやってくる確率を、まずは考えてみてください。

競馬の予想屋もそうですね。もしもその予想屋が当たるとすれば、2つの理由で矛盾します。1つは、なぜその予想屋がそこにいるのか? 本当に良く当たるなら、その予想屋自身がとうに大金持ちになって、予想屋などしているはずがありません。また、よく当たるのであればレースのオッズが変わってしまうはずですから、あなたの配当金は微々たるものになるはずです。
少し脱線してしまったので元に戻しますが、もしもみなさんが医者にかかって、薬を出されたとしたら、なぜ薬をのむ必要があるのか? その根拠(※エビデンス) は? 効果と副作用は? 副作用で命を落とす確率は?

その他の方法はないのか?のまなければどうなるのか? いつまでのむのか? コストは? 根本的に治るのかどうか? 対症治療にすぎないのかどうか? 医者であれば本当にのむのか? くらいは最低限訊く必要があります。医療相談をしていてがくぜんも、意外に多くの方が、服用している薬の名前すら知らない事実に惇然とします。

なぜなら薬は毒の一種です。副作用は必ずありますし、命を落とす可能性もあるのです。薬をのめと言われて、はいわかりましたと、何も訊かずに素直にのむ神経が、私にはとうてい理解できません。それはまるで、顔も性格も年齢もわからない相手と結婚するようなものだと思います。人生を賭けたギャンブルです。

病院での診察は演技?

病院(医院) をあらためて定義してみますと、「医者と患者が芝居を演じる舞台」ということができると思います。芝居はあくまでも芝居ですから、いくら迫真の演技であったとしても、所詮は虚構の世界です。とどしたがって、病院(医院) とは必要最低限のつき合いに留めるのが賢明です。決して長居をするところでも、ずっと通うところでもありませんし、その必要もないと思います。

医者とは、本来は病院外でつき合いたいものです。そうすればこそ、建前ではなく、初めて本音のつき合いができるのです。
つまり、人間同士のつき合いが始まるのです。少し極端な言い方になりますが、痛院の中だけで医者と会っている限り、みなさんにとって有用なことは何もないと思います。
医者が患者と本音でつき合えるほどの余裕を持つことを、病院という舞台は執拗に拒むのだということを、みなさんにはぜひ知っていただきたいのです。

いい医者と友達になる

自分で病気を治す力を高めるために欠かせないことは、本音でつき合いができるいい医者が身近にいるかどうかです。しかし、先ほどから述べているように、「医者と患者」の関係でいる限り、本音のつき合いはなかなか難しいように思います。

医療現場では、医者はもっばら建前で患者さんと接することになります。とはいっても、3分くらいしか接点はありませんので、打ち解けた関係になるには無理があるのかもしれません。したがって、プライベートでいい医者を見つけておくといいでしょう。

医療相談で、こんな事例がよくあります。主治医は「薬をしっかりとのまなくてはいけない」と言うが、親しい医者に相談してみたら「ここだけの話だけど、この薬は確かに効果は抜群だけど、のみ続けるとがんになる可能性がけっこう高いので、どちらかといえば服用は勧めない」と言われたというのです。ちなみにこの場合、主治医も親しい医者も、いずれも某国公立大学病院の教授です。

ここだけの話にしないでほしいと、いつも思います。そんな場合には、ほとんど「往々にして医者としての意見よりも、友達としての意見のほうが信憑性が高いですよ」と私は答えるのですが、大方の場合はそれで正解です。

医者も人の子。親しい人にはついつい本音で接します。個人的には心根の優しいのが医者の特徴です。場合によっては小心と言うべきこともありますが。

ただ、大学の教授や、大病院の院長や部長ともなれば、立場上なかなか本音でものを言うことがはばかられるのかもしれません。公の発言ともなると、やはり歯切れが悪くなるのは致し方ない部分もありますので、なんとかプライベートでつき合える、いい医者を早く見つけてください。

信用してもいい医者の条件

そうはいっても、本音で話せる医者がすぐに見つかるとは限りません。そこで、医者の友達が見つかるまでの当座は、医者を専門家の1人としてうまく活用すればいいと思います。

ただ、医者に依存しすぎては逆効果です。がん患者さんを対象に医療相談をやっていますと、医者を信用したあまりに死期を早めた方が意外に多いことに驚きます。医者の資質の低下も原因の背景としてあるのかもしれません。しかし、患者さんの方にも自立する気持ちがなければ、自己治癒力がなかなか働かないのかもしれません。

医者を活用する場合に、みなさんが留意しなければいけない焦点は次の2点です。

1つは、その医者がきっちりとカテゴリー分けをしてくれるかどうか。もう1つは、健診結果をきっちりと評価してくれるかどうかでささいす。この2点さえ外さなければ、あとはむしろ些細なことです。

次に健康診断(健診) の受け方を考えてみましょう。健診は漫然と受けるのであれば、意味がありません。何か疾患を想定して、的を絞って受けるのが得策です。その的とは、多くの場合は「がん」ということになりますが、40歳を超えると1年に1 回、健診を受けたほうがいいと思います。健診についてはいろいろな論議があって、受けても意味がないという意見もありますが、がん患者さんの記録を見る限りにおいては有用です。

また、少し乱暴な言い方ですが、がん以外の疾患は、ほとんど手遅れになることはありません。したがって、早期発見をあまり気にしなくてもいいと思います。やはりがんに的を絞って、健診は受けるべきだと思います。
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ただ、健診で重要なことを2つ、付け加えておかねばなりません。lつは、健診は決して万能ではないということ。「健診で大丈夫だったからまったく問題ない」ということではありません。
あくまでも1つの目安です。

2つ目は、健診はあくまでもできるだけ早期に発見するための手段であり、予防の手段ではないということです。健診もうまく活用すれば有用ですが、それよりもやはり、自己治癒力を高める生き方を優先すべきでしょう。

医者に遠慮は禁物!

医者の大方の習性として、どちらかと言えば押しには弱いところがあります。したがって医者にはあまり遠慮せず、どちらかと言えば厚かましく接する方が、結果的には得をする場合が多いと思います。

がん患者さんを見ていると非常によくわかるのですが、積極的で、自己中心的で、少々厚かましいくらいの人の方が、断然予後が良好です。私は日々がん患者さんの医療相談を行なっていますが、患者さんを大きく2つのタイプに分けることができます。

1つは非常に謙虚で、遠慮深く、あまり質問のしてこないタイプ。もう1つのタイプはしつこいくらいに質問を投げかけてくる夕イプ。相談される側としては前者のタイプの方がやりやすいのですが、結果放としてあまり予後がよくないのはつくづく感じさせられるところです。

一方、執拗に何度も質問をしてくるタイプの患者さんは、正直うるさいなと感じることもままありますが、結果的にはコみゅにケーションもより取れることになり、治癒率も高くなるのです。積極的で前向きな姿勢そのものがプラスに作用していることは確かかもしれませんが、えてして有意な情報がそういった押しの強い患者さんに流れやすいという事実もあるように感じます。
また、医者の気もどちらかと言えば押しの強い患者さんの方へ、優先して流れていくような印象を受けます。

受診時には、筆記用具や録音機器を

受診の際にメモすら取らない方も中にはいらっしやいますが、はなはだ疑問に思います。ひょっとすれば命にかかわるかもしれない大事な場面に手ぶらで来るとは、よほどの認識不足と言わざるを得ません。

これは、私だけでなく他の医者もそうだと思いますが、真剣に治そうといなう気が萎えてしまいます。患者さんの其撃な姿勢が、医者の真剣さと感応し、初めて相乗効果をもたらすのだと思います。

もちろん医者から得るものは情報だけではないでしょうが、漏れなく情報を把握するためにも筆記具もしくは録音機器の携行は必須だと思います。また、そういった情報はセカンド・オピ:オンを求めるときにも非常に有効です。そしてそういう真剣な態度を示すことにより、医者の本領も発揮されるのではないかと思います。

治療方法は定期的に見直す

今自分が受けている治療がどのようなもので、どのような意味があるのか、そしてどのような副作用(デメリット)があるのかということは、少なくとも把握しておくべきです。

もちろん、ほとんどの医者は常に全力で患者さんに臨むわけですが、ある誹一定の確率でミスも起こります。また、医者は数多くの患者さんの主治医をしており、把握できる範囲にも限界があります。したがって、すべてを医者任せにするのは非常にリスクがあると言わざるを得ません。

医療相談をしていても、残念ながら、単純なミスや見逃しによって病状が悪化してしまったと思われるケースも少なくないのが現状です。

具体的には、自分の病状や治療内容を把握しておくと同時に、定期的に治療内容を見直す機会を作ることが大切です。たとえば、薬を処方されている場合には、ずっと同じ薬剤を言われるままに服用し続けるのは問題です。時間が経過すれば病状もきっと変化するはずですし、そうであれば処方内容も変えることが必要です。慢性疾患の場合、往々にして同じ処方、同じ治療方法が漫然と続くことがあります。

それは厳密に言えばありえないことなのですが、ついつい見逃されてしまうこともあります。したがって、折に触れ、自分から治療内容の見直しを医者に促すことも必要です。

医者への「お礼」は「虚礼」

少し切り出しにくそうに、「こんなこと訊いていいのかどうか迷ったのですが、周りの方もしていらっしやるようだし 、いくらくらい先生に包んだらいいのでしょうか? よかったら相場を教えてもらえませんか」と、そんな質問を受けることがたまにあります。

「そんなこと、あんまり気にしなくていいですよ。それよりもご自身が治ることを一番に考えましょう」「「別にお礼なんか要らないですよ。病院の待合室や病室にも、お礼はしないようにと、張り紙がしてあるでしょう。どうしてもお礼をしたいのなら、退院のときにでも、2000~3000 円くらいまでで、なにか気のきいたものをプレゼントすればどうですか? 」最近、ほとんどの病院には、あちこちに「お礼はしないでください」と、まるで動物園の「えさをやらないでください」の看板のように、張ってあるのが目に付きます。

まだまだ「お礼」の悪しき風習がしぶとく残っていることの現われだと思います。昭和30年代までは、医療費そのものが公定価格ではなく自費だったので、それぞれの患者さんが自分の収入に応じて、それなりのお礼をしていたこともありました。
その名残の「お礼」だけが習慣として生き残っているのかもしれませんが、結論から言いますと、あまり好ましい風習ではありません。ここで言う「お礼」とは、手術の前などに、こっそりと主治医や執刀医に手渡しする少し高額なお金のことを指します。これとは別に、退院のときなどに感謝の気持ちを表わしたくて、看護スタッフや主治医に自分の好きなものをプレゼントするというのは、全く自然で、何も問題ないと思います。

こそでのお礼は堂々と渡しますので「堂々タイプのお礼」と呼び、前者の袖の下のごとく、こっそりと手渡しするお礼を「こっそりタイプのお礼」と区別しておきます。もちろん、ここでの話は「こっそりタイプのお礼」ですが、それがなぜ好ましくないかを説明しましょう。

理由はいくつかあります。最大の理由は、医者と患者さんの問に、大きな隔たりを作ってしまうことです。たとえば友達とのやりとりを考えてみてください。仮に友達に何かをしてもらったときに、法外なお礼をあらたまってするでしょうか? おそらくそんなよそよそしいことはしないと思います。そのかわり、そう金額ははらないもので、友達が気に入りそうなものを贈るはずです。

もちろん逆の立場でもそうだと思います。したがって、贈る方にとっても、もらう方にとっても、ごく自然なやりとりだと思います。結果として、友達関係はより円滑になることはあっても、悪くなることはないでしょう。もうみなさん、おわかりだと思います。みなさんが、あらたまったお礼を医者にすることは、とりもなおさず、よそよそしさ、水臭さの感情をメッセージとして医者にぶつけていることになり、受け取った医者は当然、それを受け止めますので、以後、そのような関係で振る舞うことになります。患者さんの心のどこかで、自分だけを特別扱いにしてほしいというあざとい気持ちと、みんながやっているのだから自分だけがやらないと、損な扱いを受けるのではないかという不安な気持ちとが、ごちゃまぜになっているのだと思います。

しかし、いずれにしてもそのようなお礼はやはり「虚礼」です。あまり意味がないですし、むしろマイナスかもしれません。

まともな医者ならば、お礼を受け取らないと思いますが、断るやりとりそのものが、気まずさを誘うことになります。また、お金で左右されると思われたことにプライドを傷つけられる医者もいるでしょう。また、私であれば「きっと周りに言われてそうしたのだろうな、無用な気遣いをさせてしまったな」と思うでしょうし、ある医者にとっては、受け取ってかえってプレッシャー になるかもしれません。はたまたお礼をもらうことに慣れっこになっていて、なんとも思わなくなってしまった名医もきっといるでしょう。きずないずれにしても、お礼によって、医者との心の群が深くなることは万が一にもないということです。かえって、よそよそしくなるのが関の山です。

もちろんお礼がなかったからといって、なおざりにする医者もほとんどいないはずです。まれにお礼の有無や金額によって、扱い方を逐一掛酌する医者もいるかもしれませんが、その場合にはぜひご一報いただき、断固糾弾していきましょう。少し話が逸れますが、医者もピンからキリまでいます。卒業したての医者と百戦錬磨のベテランの医者との差、能力・資質の個人差は、厳然とあります。そういったいろいろな医者がいる中で、誰もがいい医者にかかりたいと思うのは当然のことです。そういった希望を踏まえ、患者や医者が、医者を評価するシステムを構築し、その結果を公表し、その評価いかんによっては診療報酬などで何らかのランク分けを行なうことも、考慮する必要があると思います。

さて、話を元に戻します。医者にとっては、患者さんがお礼をくれる「おいしい患者」になるのではなく、心の触れ合いもできる、友達感覚でつき合えるような関係になつてくれた方が、結局は治療もやりやすくなり、治癒率を高めることができるはずです。そういう意味でも、医者へのお礼はしないい方が、医者にとっても患者さんにとっても大きなメリットになるでしょう。

医者の本当の正体は白衣を脱げば小心者、白衣を着れば慢心者

医者にはどんな人間が多いのでしょうか? 実を言うと、今までに同じ質問を数多くの方々に投げかけてきました。その結果、良い悪いは別にして、医者は自分たちとは違う人たちだというイメージを持っている方が多いようなのです。

でもそれは大いなる誤解です。なぜこのような質問をするかと言いますと、良きにつけ悪しきにつけ、みなさんが医者を特別視すればするほど、医療は本音から遠ざかり、建前だけの実効のないものになっていくように感じられてならないからです。みなさんが医者を特別視すればするほど、医者もますます医者を演じなければいけないのです。

つまり、医者は「決して患者になることはない医者」を演じるのです。医者は患者を客観視し、自分が患者になることがないという錯覚に陥ってしまうのです。要は、医者の偽装が常態化してしまうのです。

しかし正体は全く異なります。医者も患者になりえますし、医者が特別に長生きするというデータもありません。あるいは、「医者は聖職」などと誰かが無責任に言うから、みなさんの誤きせん解を招くのです。

聖職などというものがこの世にあるはずもありません。それほど優秀ですばらしい人たちばかりが医者になっているわけではありません。多くの医者は、かつての私も含め、白衣を脱げば小心者、白衣(権威) を着れば慢心者なのです。それは医者に限らず他の職業にも共通するところではないでしょうか。

逆らわず、従わず

昔からよく、「並のバカなら怖くはないが、なまじ権力(学問) を持ったバカほど怖いものはない」と言います。確かにその通りだと思います。

したがってその対処法として、「逆らわず従わず」が最も有効です。これは、もちろん医者に対してもあてはまります。本当に優秀で、人格もすばらしい医者に出会えればそれは幸いです。しかし、それは宝くじに当たるようなものです。

すべての医者が人格者というわけではありません。本当にどうしようもなく頭の堅い医者もいるものです。ただ、こういう輩に対していたずらに喧嘩を売るのは得策ではありません。

まずは、医者から有意な情報やアドバイスを入手できれば、よしとしましょう。うまく持ち上げて医者を活用すればそれでいいと思います。要するに、彼らよりも賢く振る舞うことが重要です。

現代医療を非常識な視点で見る 完全ガイド – メモ(健康・美容)

健康と病気のちょうどその境目について考える

健康とは?病気とは?

現代医療は、ずっと医者にかかり続けなくても治ってしまう、あるいは医者にかかる必要もない、そんな分類の方が、残念ながら数多く病院に押しかけ、いわゆるおいしい患者さんになっているのが現状です。

それでは、そんな分類の方たちが、経営のための医療につきあわなくてもいいようにするには、どうしたらよいのでしょうか。

もちろん自ら治癒する術を知り、それをしっかりと身につければいいのですが、まずその前に、健康と病気との境界をしっかりと把握しておくことが大切だと思います。そもそも健康とはどういう状態を指し、病気はどんな状態を指すのでしょうか?

「健康」「病気」、いずれもみなさんが会話で頻繁に使う、非常になじみのある言葉ではありますが、それだけに意味を聞かれると「?」となってしまうのはどうしてでしょうか?現場で働く医者に訊いても、おそらく的確に答えられる人は少ないのではないでしょうか。

ちなみに、みなさんもよくご存じのWHO(世界保健機関)の定義では、「健康とは、完全な肉体的、精神的および社会的福祉の状態であり、単に疾病または病弱の存在しないことではない」となっています。

しかし、言葉が抽象的でイマイチわかったようなわからないよう、そんな印象を受けます。

そんな定義はさておき、健康な状態をひらたい言葉で具体的に述べてみれば、「朝の寝覚めがよく、体に痛みや違和感もなく、食事をおいしく摂ることができ、排泄もスムーズで、仕事や勉学への意欲があって、不自由なく活動ができ、人に思いやりを持つことができ、そして夜には穏やかに眠りにつける」ということになるかと思います。

ただ、私たちが日常生活で求められる健康な状態というのは、必ずしも完全無比で、完壁な不動の状態を指すのではないことを、おさえておかなくてはなりません。1つの例です。

私たちの体の中では、毎日がん細胞が発生しているといわれています。しかし私たちは、がん患者ではありません。それはなぜでしょうか。それは発生したがん細胞が、うまく成長することができないからです。つまりがん抑制遺伝子が働いて、正常な細胞にひき戻されるか、そうでなければリンパ球やマクロファージによって、ことごとく処理されてしまうからなのです。そのおかげで、私たちはがん患者になることなく、ことなきを得ているわけなのです。

生体というのは、物質の出入りのない固定した塊ではありません。私たちの体を構成している細胞も原子も分子も、見かけは変わらないようですが、実は常に入れ替わっているのです。

今から1年経っても、私たちの姿形はあまり変わることはないでしょいなう。

私たちの1年前の細胞は、神経細胞などごく一部を除き、もちろん二の腕のだぶつきやおなかのでっばりの原因となっている脂肪細胞も含めて、すべて入れ替わっています。原子や分子レベルの話になれば、完壁にすべてが入れ替わっています。
l年前の私を形作っていた細胞、原子、分子は、今はまったく存在しないのです。常に古い細胞が死んで、新しい細胞が生まれながら、全体としては何も変化していないように見えるだけなのです。

これを恒常性(ホメオスターシス)が保たれていると言います。そしてこの恒常性、あるいは健全性を保とうとする力を「自己治描癒力」と呼んでいるのです。

この「恒常性」は、生物を無生物と区別する1つの大きな特徴でもあります。言い換えれば、「生物(生A叩) は、物質の出入りも何もない固定した存在ではなく、絶え間なく物質が出入りしているという動的な平衡を保った存在」であるという定義も成り立ちます。

つまり生命は、常に細胞(分子や原子も)が入れ替わりながらも、恒常性を保っている不思議な存在なのです。しかも、この恒常性は、実は姿形だけの話ではありません。みなさんの生命維持に直接かかわってくる「機能」においても、恒常性(健全性)を保とうとしています。

たとえば体温がその典型です。夏の暑い日であろうが、冬の寒い日であろうが、私たちの体温はほぼ一定の36.5度に保たれます。それはその温度が生体の運営に最も適した温度だからなのです。そしてこの恒常性が健全に保たれている快適な状態を「健康」と言い換えることができると思います。
いっぼう、「病気(疾病)」というのは恒常性が崩れてしまって、元に戻らなくなっているか、あるいは元に戻りづらくなつた状態だと考えると、わかりやすいと思います。

「末病」を治せば「病気」にならない!

健康に戻るか、病に陥るかの分岐点での対処の仕方が大切です。その分岐点は、中国の伝統医学である「中医」の「未病」というキーワードを理解すれば、わかると思います。

「未病」とは、恒常性が崩れかけていて、そのままほうっておけば完全に崩淵れてしまうような危うい状態を指します。

「未病」を軸に、体の状態を要約してみますと、次のようになります。

  • 状態1 恒常性が健全に保たれている状態(健康)
  • 状態2 恒常性が崩れかけている状態(末病)
  • 状態3 恒常性が崩れ、そのままでは元に戻らなくなっていて、悪化している状態(病気)

ただ、それぞれの間に明確な境界があるわけではなく、連続的に移行しているのが実態です。

中医で「未病」と診断されるのは、検査で明らかな異常がなく、明らかな症状もないが、少し調子の悪い状態で、病気になる前段階の心身の微妙な変化を挿します。この大事な変わり目を早急にとらえ、速やかに改善を図れば未然に発病を阻止することができるのです。つまり病気になることを防ぐことができるのです。

中国には「上工治未病」(上工は未病を治す)という古い言葉があります。「上工」とは本物の医者のことで、本物の医者は発病してからでなく未病の段階で異常を察知し、速やかに対処するものだという意味で、言い得て妙だと思います。

一方、西洋医学では、未病を見過ごし、発病してはじめて治療に取り掛かります。すなわち、検査で異常が発見されるか、明らかな症状が出るようになるまでは病気とは見なしません。治療の対象にもなりません。病気だという明らかな証拠を示さなければ、医者は動いてやらないということなのでしょう。

たとえてみますと、西洋医学は火事が発生してから対処しようという考えです。

その点、中医は火事になってから対処しようというのではなく、火事になりそうな危険な場所をあらかじめ点検したり、燃えそうな建材はあらかじめめ不燃材に交換したりしておこうという考えなのです。Jもちろんいったん火事になってしまえば、とりあえず燃え盛る火の勢いを抑えなくてはいけませんので、西洋医学も必要です。

しかし、それだけでなく火事の防止を考えたり、再発を防いだりすることも非常に大切な考えだと思います。

例えば、がんの場合、いったん発病してしまいますと、治療に多大なエネルギーを要するようになります。したがって、西洋医学のように発病するまで待っていて、発病したら対処しようという考えはあまり得策とは言えません。
中医のように、未病の段階で、微細な異常を的確に察知し、自己治癒力を高めて早く対処しておこうという考えが重要です。「待つ」のが西洋医学とすれば、重篤な病には悠長すぎる考えと言えます。それに対し、事前に対処する中医は「攻め」の考え方と言えるのではないでしょうか。

「中医」の考えは自己治癒力を高めること

「中医」の考えは自己治癒力を高めることで、病気や「未病」を治そうというもので、非常に理にかなった考えです。したがってうまく「中医」を取り入れることは、私たち日本人にとっても有用だと思いますし、むしろ取り入れない手はないと思うくらいです。

ちなみに「中医」と「漢方」とがまったく異なるという事実を、ご存じの方は少ないのではないでしょうか。江戸時代の末期に蘭方医学(近代西洋医学)が日本に導入された際に、それ以前からあったもともとの医学を「漢方(元をたどれば中国から伝わったものだから)」と称したのが、「漢方」という名のはじまりです。ですから、漢方とは日本の伝統医学を、「中医」とは中国の伝統医学を意味するのです。西洋医学は、特に20世紀にはすばらしい進展を見せました。

抗生物質が発見され、有効なワクチンが次々と開発され、生命を脅かす感染症は激減しました。一方、食をはじめとした生活習慣や生活環境が急速に様変わりガン、心疾患、脳血管疾患、アレルギー疾患、メタポリックシンドローム、膠原病などの慢性疾患が急増しました。

これらの慢性疾患は、西洋医学的な治療法だけでは限界があり、根本治癒も困難です。根本治癒にはどうしても、生活習慣などを是正し、自己治癒力を高めることが不可欠となりますので、心と体を一体としてとらえ、体全体のバランスとリズムを取り戻すことで病を癒すという、心身一如の思想に立脚した東洋医学、特に「中医」の考え方が必須となります。

さらに「中医」には「気」という生命エネルギーの概念も古くからあり、生命を単なる機械、臓器を部品と見なす西洋医学(近代医学)の立場とは異なり、全人的な視野に立って医療を施すところに特長があります。

日本の医療の中に「中医」の考え方を浸透させることが、大きく治癒率を向上させ、患者さんの信頼を取り戻す大きな原動力になりうるはずですし、そうすることが義務ではないかとさえ私は思っています。少なくとも数千年かけて積み上げられてきた先輩医師たちの英知を無視することは、多大な損失だと思いますし、患者さんへの人権侵害だと思います。

最近中国では、西洋医学と中医のいいところをうまく組み合わせた手法を中西医結合医療と呼び、がん治療など慢性疾患の治療の主流になってきています。西洋医学で初期治療を行ない、そのあと中医を用いて養生をしていくという非常に賢明な考え方なのです。ぜひお隣の国のすばらしい英知を、日本にも取り入れるべきだと考え、個人的に学んでいるところです。日本でも、もっともっとポピュラーになればと考えています。

ちなみにがん治療の場合、西洋医学が主流の日本では、手術や抗がん剤治療などの初期治療のあとは、基本的に放置するのみです。生活指導ももちろん、中医を奨めることもありません。ただただ再発・転移を待つのみです。そのためでしょうか、実際に半数の人が再発・転移で亡くなります。積極的に再発・転移を抑えていれば、結果は大きく異なるはずだと思うのですが、いまだに西洋医学一辺倒なのが、日本の悲しいがん医療の現状です。

分かれ道は、健康と病気の境日

では中医のキーワードである「未病」をポイントに、典型的な糖尿病の経過を例にして、健康と病気の境目を述べてみましょう。
みなさんの中にも、きっと甘いものには日がないという方が大勢いらっしゃると思います。その甘党のみなさんが、甘いおまんじゆうを一気にたくさん食べたとしても、あるいはコーラ1リットルを一気に飲み干したとしても、血糖値は一時的にはかなり高くなりますが、数時間以内には、元の値に戻ります。

それは、膵臓のβ 細胞が分泌するインスリンというホルモンの働きによって、血糖値がうまくコントロールされるからです。要は体の中で、恒常性を保つ機能が健全に働いているからだと言えます。これは「青信号」と言えます。

しかし、その後、みなさんが忙しさにかまけて運動をあまりしなくなったり、過度にストレスのある生活が続いたりすると、どうなるでしょうか。内臓脂肪が多くなると、だんだんと恒常性を保つ能力である「自己治癒力」が小さくなり、血糖値がなかなか元に戻らない状態になります。この、恒常性を保つ能力が小さくなった状態、あるいは元に戻る力が低下した状態を、「未病」と言います状態は。「黄信号」です。

この状態は、実は非常に大切な時期なのです。まさに運命の分岐点とも言うべき時期です。しかし、みなさんも、そして残念ながら医者も、それほどこの分岐点を注目していません。

さて、のこの時点で、みなさんが健康診断を受けると、おそらく空腹時の血糖値126 mg/dl 以上でしょう。是非はともかく、現在の基準値では125 mg/dlまでが正常、126 mg/dlからは異常とされているため、はれて「糖尿病」というお墨付きをいただくことになります。堂々と血糖降下剤といわれる謎の薬の処方がいただけるようになるのです。そして、ちゃんと薬をのまないと「目が見えなくなってしまう」「腎不全になって透析を受けないといけない状態になってしまう」「足の先がなくなってしまう」と散々脅されJることになります。

みなさんは不安になって、薬局へ急いで駆け込むことになり、素直に血糖降下剤をのみはじめることになります。そこから道は、大きく2つに分かれます。まさに分岐点です。

1つ日は、あまり事態を深く考えずに、素直に薬をのみ続ける道です。非常に楽な選択のように見えます。なぜなら、薬をのむだけで済むわけですから。薬をのむと最初のうちは容易に血糖値が下がりますので、みなさんは治ったのではないかと錯覚してしまいます。ついつい油断して、食生活の是正や運動習慣の取り入れなどの話は、完全に忘却のかなたにいってしまいます。つまり薬さえのんでいれば、節制などくそ食らえという、大きな気持ちにとらわれてしまうのです。

薬を素直にのんでも、それは対症治療にすぎません。膵臓β 細胞からのインスリンが増量するわけではありません。むしろ逆でインスリン量は減量していきます。血糖降下剤を服用することによって、治る方向とはまったく正反対の方向に進んでしまうのです。

それはどうしてかと言いますと、血糖降下剤を服用することによって、インスリンを分泌するβ 細胞はいよいよ仕事をサボるようになっていくからです。賢明な私たちの体は、合理的に物事を判断しますので、きっとこう考えるはずです。

血糖降下剤がちゃんと血糖値を下げてくれるのだから、何も自分たちが一生懸命努力して元のように仕事をしなくてもいいのではないかと。確かにそれは合理的です。しかし、物事はそう甘くは続かないのです。本来ならば運動や食習慣の是正、ストレス対処などをうまくやりこなすことで自己治癒力を高め、インスリンの分泌能、もしくはインスリンの感受性を改善させなければいけないところを、まったく逆のことをやっているわけです。
いくら薬をのみ続けても、治るどころかどんどん悪くなるのが道理です。やがては血糖降下剤もあまり効かなくなり、合併症も出てきて、遅かれ7早かれインスリンの注射を受け続けることになります。そしてついには、目が見えなくなったり、腎不全になって透析をしなくてはいけなくなったり、足を切断しなくてはならなくなったりと、坂道を転げ落ちていくような悲惨な状況になってしまいます。

つまり、赤信号状態に進むのです。さて、分岐点で2つ目の道を選択するとどうなるでしょうか。つまり、安易に医者に頼る前に、まず自己治癒力を高めることをいつも意識して、今までの生活習慣をうまく変えていくことに努めるのです。

少し時間はかかるかもしれませんが、確実に、いずれ「状態1」に戻るでしょう。これは決して医者に行くなというのではなく、医者に頼る前に「未病」であるかを自ら確認し、仮にそうであれば、努力をして生活習慣や考え方を是正してみることが非常に大切だということなのです。

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うつ病早期発見のために

うつ病のサインに気づく

うつ病と思わせるサインのようなものがあります。そのサインに気づいたら、なるべく早く専門医に相談することが、早期治療・早期回復につながります。
うつ病の症状は多様で、しかも似たような症状をあらわすほかの病気もありますので、うつ病かどうかの判断はそれほど容易なことではありません。

まして、それまでうつ病についてほとんど予備知識のない人(家族)が早期発見をするのはかなりむずかしいことです。
そこで、ここではうつ病のサインにはどのようなものがあるのか、もう少し具体的にみていきます。
サインは、「これまでとくらべて、どうも調子がおかしい」ということに気づくことが基本になります。
以前に比べて

  • よくとりこし苦労するようになった
  • 過去にしてしまったことを、「とり返しがつかない」と、いつまでもくよくよ後悔するようになった
  • 自分は不必要な人間だと感じるようになった
  • 特に男性の場合は、セックスに興味がなくなった

というようなこともサインとなります。次に、家族やまわりの人たちが気づくサインとしては次のようなものがあります。
以前に比べて

  • 元気がなくなった
  • 何をするにも億劫に見える
  • 口数が減った
  • ゴルフや映画鑑賞、旅行など好きだった趣味に興味がなくなった
  • 仕事が遅くなったりミスが目立つようになった
  • タバコの酒の量が減ったり、増えたりしている
  • 主婦の場合、料理や掃除洗濯な家事をするのが億劫そう
  • 女性の場合、服装や化粧に関心がなくなった

これらはほんの一例です。自分自身で気づくにしても、また家族が気づくにしても、こうしたことは日常的にはそれほど珍しいことでもないため、つい見すごしてしまいがちです。

判断は、長く続いているかどうかです。要は、「いつもとちょっと違う」ということに早く気づくことなのです。「これまでと何か違う。しかも、その違いの程度も強いし、それがいつまでも続いている」と感じたら、早めに専門医に相談する必要があります。

専門医の受診が遅れてしまうと

早期発見のためには、できるだけ早くうつ病のサインに気づくことが肝心であると述べました。ところが、せっかくこうしたサインに気づきながら、受診が遅れてしまうケースがあります。

ひとつは、精神科を訪れることに対して、いまだに抵抗感がある人の場合です。心の病気についてはメディアでもよくとり上げられ、偏見や誤解があまりなくなってきたおかげで、一般の人々の精神科に対する抵抗感はかなり薄くなったといわれます。しかし、それでもまだまだ精神科には行きづらいと思う人は多いようです。

本人も家族も、せっかくうつ痛のサインに気づいていながら、なかなか病院に行く気になれず、ぐずぐずしているうちに症状が重くなってしまうことがあるのです。また、本人が「どうも、おっくうだ」とか「どうも、このごろ憂うつだ」と心の変調を感じていても、家族やまわりの人が「たいしたことはない」「気のせいだ」と勝手に決めつけてしまう例もあります。

たしかに、だれでもこうした気分になることはよくあることなので、家族がそう思ってもしかたがないかもしれません。まして、家族にそれまで心の病気になつた人がいなければ、経験も知識もありませんから、まさか精神面の病気だとは気づかないのです。

そうしたケースとして、産後うつ病があります。女性が出産をきっかけに発症するうつ病を産媒僚期うつ病といいますが、夫や家族は産婦のいつもと違う様子に気がついても、「お産という大役をしたあとなのだから、疲れて元気がなくなるのはあたりまえ」と考えて、まさかうつ病などとは思わないことがあるのです。
産後うつについてはこちら

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別の病気だと勘違いしてしまう

更年期障害の場合も、この障害についてはよく知られていますから、うつ病のサインがあらわれていても、「それも更年期障害のせいだろう」と考えて、専門医にかかるのが遅れてしまうケースがしばしばあります。

同様に、「仮面うつ病」では体の症状が前面に出ますから、どうしても体の症状ばかりが気になり、結果として精神科の医師にみてもらうことが遅くなって症状を悪化させてしまう例が少なくありません。また、神経症と軽症うつ病の症状は非常によく似ています。

このため、本人に元気がなくなっても、「単なるノイローゼだろう」と軽く考えて、受診が遅れてしまうこともあります。もちろん神経症であっても、きちんとみてもらう必要があるわけですが、ノイローゼというと軽くみられる風潮もあって、専門医にみてもらう機会を逸してしまうことが多いのです。
女性特有のうつの症状

うつ病は心だけでなく、 体全体の病気である なまけているように見える場合も…正しい知識を

うつ病というと、心の変調ばかりに目がいきがちですが、その症状のあらわれ方は実にさまざまです。まず、うつ病の症状の全体像もとても重要です。

「うつ病は心の風邪」という意味について

最近、どうも調子が出ない。何をやろうとしてもおっくうで、「よし、やろう」という気力が出ない。気分が落ち込んで、いやなことばか暑えてしまう。もしかすると、うつ病かもしれない、うつ病は、テレビや雑誌、新聞、書籍、さらにはインターネットなど、さまざまなメディアでとり上げられるようになって、かなりよく知られた病気になっています。

それだけに、ちょっと心の調子が悪いと、もしかすると自分はうつ病かもしれないと考える人がふえてもおかしくはありません。最近、うつ病について語られるとき、たびたび使われるのが「うつ病は心のカゼ」とい、言葉です。

その意味は、うつ病はカゼのように、だれもがかかる可能性のある、ごくありふれた病気だということです。つまり、うつ病は特別な病気というわけではなく、カゼのようにごく身近な病気であるとともに、多くの人がかかる病気であるということを言おうとしているわけです。

ところが、「カゼ」という言葉から、まるで別の意味に解釈してしまう人がいます。「カゼぐらいだったら、たいした病気ではないのだ」と軽く考えてしまうのですが、それはまちがいです。たしかにカゼであれば、市販の薬を飲めば治ることもありますが、だからといつて、カゼをばかにしてはいけません。

「カゼは万病のもと」といわれるように、軽くみてはいけないのです。まして、うつ病はけっして放置しておいてよい病気ではありません。うつ病を軽くみて、治療をおろそかにしていると、さらに重症化したり、ときには自殺に至る、非常にこわい病気であることをまず知っておく必要があります。

心と体に症状があらわれる

うつ病の症状は精神面ばかりでなく、体の面でもさまざまなあらわれ方をします。つまり、うつ病は心と体、つまり体全体の病気なのです。やっかいなことに、精神面の症状は、目には見えないこともあり、なかなかわかりにくいところがあります。
まわりの人はもちろんのこと、軽い場合などでは自分自身でもうつ病と気づかないこともあります。まず、うつ病の症状の特徴をざっとみてみます。

典型的な症状としてよくいわれるのが、気分の落ち込み、疲労、食欲不振などです。
気分としては、

  • 憂うつ
  • 気分が晴れない
  • 気分がふさぐ
  • 悲しい
  • ツライ
  • 苦しい

などという感じが、長く続きます。こうした気分に、不安が重なったり、眠れなかったり、また性欲がなくなったりもします。体調としては、

  • だるい
  • 下痢
  • 食欲がない
  • 頭痛
  • 肩こり

などがみられます。これだけみても、うつ病の症状は実にさまざまであることがわかると思います。しかも、これらの症状は日常の中でだれもが経験することばかりです。それだけに本人はもとより、家族などまわりの人たちもうつ病と疑わずについ見過ごしてしまう場合もあります。

生活のリズムに変調をきたす

日常生活のリズムの中で基本となるのは、睡眠と食事です。うつ病になると、これら基本的な生活にも大きな影響を与えます。うつ病の症状として、最も大きな特徴にといわれるのが、いわゆる「日内変動」です。

うつ病の人の気分は、1日中同じ状態というわけではありません。一般的には、朝方に気分がとても悪く、夕方から夜にかけて調子がよくなっていくという傾向がみられます。これを日内変動といいます。

このことから、うつ病の診断でも、この日内変動があるかどうかがひとつの目安となります。朝の落ち込み方が激しいため、寝床からなかなか出られず、洗面や歯磨きはもとより、新聞を読んだり、テレビを見ることすらおっくうになります。気力や意欲もあまりありませんので、学校や会社に行くことができないこともあります。それが夕方から夜になるにつれて、少しずつ改善されていきます。

症状のもうひとつの大きな特徴として、「不眠」があります。不眠にはさまざまなタイプがありますが、うつ病では「早朝覚醒」といって、かなり早い時間に目が覚めてしまいます。早朝といっても、深夜に近い午前3時とか4時に日が覚めます。

熟睡したために、そんな時間に目が覚めてしまうことはよくありますが、うつ病の人はよく眠れていないにもかかわらず、早く目が覚めてしまうのです。しかも、再度、眠ろうとしてもできません。目が覚めたとたんに、頭の中に次から次へといやなことや悪いことばかりが浮かんできてしまうためです。いやな考えがどんどんふくらんでいって、さらに落ち込んでいきます。そのため、ふとんの中で悶々とすることになります。

こうしたことから、うつ病の人の朝の気分は最悪となってしまうのです。食欲がなくなり、その結果、体重も減っていきます。それとともに、うつ病では消化器系、循環器系、呼吸器系、泌尿器系など、体のいたるところに不調が出てきます。

周囲からはなまけているように見えてしまう

うつ病の人は、このように心と体にさまざまな症状が出ます。

しかも、その多くはうつ病ではない人でも日常生活の中でよく経験することです。このため、まわりの人たちは自分の経験をもとにして、うつ病の人をみてしまいがちです。うつ病の人の症状は、一見さぼっていたり、なまけているようにみえます。
家族でさえ、「ぐずぐずしないで」と文句のひとつも言いたくなるほどです。

たとえば、「よくため息をつく」「ごろごろ寝てばかりいる」「やらなければいけないことを、少しもやらない」「仕事や勉強をなまけている」というようにみえてしまうのです。しかし、家族やまわりの人がまずいちばんに注意しなければいけないのは、うつ病の人の様子をみて、なまけていると誤解してはいけないということです。このような誤解は、うつ病の症状をよく知らないために起こってしまうものです