大人の幸せの本質 とはどんなことでしょうか?努力なしに幸せをひたすら待つ人に幸せはやってきません。
努力をせずに幸せをひたすら待つ人
うつ病の研究者として名高い アーロン・T・ベック (アメリカの医学者、精神科医で、うつ病の認知療法(Cognitive Therapy)の創始者として知られる)によると、うつ病者は、「これこれしかじかのものがないから幸せになれない」と言います。するとまわりの人は、「でもこれこれしかじかのものがあるではないか」と言います。
たとえば、「お金がない」と言います。しかし生きることに疲れた人やうつ病になるような人には、お金がないことが問題ではないのです。生きる意欲がないことが問題なのです。
生きることに疲れていない周囲の人は、「誰だってお金がない。あなただけがお金がないわけではない」とうつ病になるような人を説得しょうとします。たしかに誰だってお金がありません。
しかし、「お金がないこと」は、生きることに疲れた人にとってと、生きることに疲れていない人にとってとでは重さが違います。生きることに疲れていない人は、お金がなくてもお金を得ようと努力する。そのエネルギーがまだ残っています。
うつ病になるような人は、生きるエネルギーがなくなっているので、「努力しなくても私を幸せにして」と言っているのです。生きることに疲れた人には、幸福になる努力をするエネルギーはもうありません。元気な時には何でもなくできたことがいまは辛いのです。何でもない元気な時には重荷に感じないことでも、生きることに疲れた時には重くなります。
幼児のように愛されたい
うつ病になるような人は幼児期から愛されてきませんでした。だから揺りかごで揺られて心地よいことを味わっていません。彼らは揺りかごを揺すってくれる人を求めました。そして揺りかごを揺らしてもらうには、自分はお金を持っていなければならないと思ったのです。
あるいは揺すってもらおうとして、自分を偽って迎合して生きてきたのです。長いこと人に迎合して生きてきて、もう疲れてしまったのです。
だから黙っていても誰かが揺りかごを揺らしてほしいと思っているのです。もう自分から努力するエネルギーは残っていません。生きることに疲れた人が望んでいるのは、大人として愛されることではなく、幼児のように愛されることなのです。
生きることに疲れた人は努力しないで幸せになる方法を求めています。自分から這いあがろうとする意志はもうありません。
相手のことを考えるのが「大人の幸せ」
大人の幸せとは、「自分の心の中で自分が広げていくもの」ですが、彼らは幸せはもらうものと思っています。だからいくらもらってもダメなのです。
相手のことを考えているのが大人の幸せですが、彼らはそれを、お菓子を食べることが幸せと思っています。
「いまのこのままで救ってくれ」というのが生きることに疲れた人の叫びです。自分のことを理解してもらう努力をしないで、「誰も私を理解してくれない」と言うのが生きることに疲れた人の態度といえるでしょう。理解してもらう努力をしないでも、他人は自分を理解するべきであると思っています。
心理的に健康な人、生きるエネルギーのある人は次のように考えます。
「私は『お金』はないけど『健康』という素晴らしい体がある」
「私は『美人』ではないけど『明るさ』という楽しい心を持っている」
「私は『名誉』はないけれど『安らぎの家庭』がある」こう考えられるのは、生命力の豊かな人です。
生きるエネルギーのある人である。いまあなたは生きることに疲れています。だからどうしてもこのように考えられないのです。