3千年もの歴史

保存中のお酒が偶然に変化したことがきっかけ

お酢は、保存していた酒が偶然に変化してできたのがはじまりで、人類が最初に作りはじめた調味料といわれています。ですから、お酢の歴史は、その元となる酒の歴史と同じく太古からつづくともいわれています。

「旧約聖書」の「モーゼ五書」には、「強い酒の酢とワインの酢」が登場します。「ルツ記」にもルツがお酢で作った飲みものをもらって飲んだと記されています。

十戒で有名なモーゼは、紀元前13世紀頃の人ですから、少なくともお酢の歴史は、3千200年ほどはさかのぼることができるのです。西洋医学の祖とあがめられる古代ギリシャのヒポクラテスは、吸血療法のあと、傷口の消毒にお酢の利用を奨励しています。

ローマ帝国時代には、クレオパトラをはじめ、多くの貴族が健康と美容のためにお酢を愛飲していたといいます。また、酢漬けの食品は保存食品として、多くの人々の貴重な栄養源となりました。

不衛生な食生活でお酢の果たした役割は、たいへんに大きかったと思われます。コロンブスが活躍した時代には、酢漬けのキャベツだけが航海中の新鮮な食糧でした。
また、不足ぎみの医薬品に代わってその殺菌力が大いに貢献したそうです。

新大陸を発見できたのも、お酢のおかげといえるかもしれません。中国には古くから「塩味と酢味の両方が中庸を得て塩梅なり」の言葉があるように、お酢は料理の調味料として重視されていました。

また、漢方医学においてもお酢は、重要な養生食品とみなされていました。ひとみひつだい江戸前期の医学者である人見必大の漢方医学をもとにした大書「本朝食鑑」では、「酢は腹の積塊を去り、痰水、血病を逐う」として薬効を明らかにしています。

日本には1400年前に伝来

日本へは、4世紀末の応神天皇の時代に酒い造りと前後して中国から和泉の国に、その製法が伝えられたといいます。その後、桃山時代までは和泉酢の独壇場でしたが、江戸時代ちなみに平安時代の「延書式」には、米六升九合、こうじ、四斗一升と水、一石二升を六月に仕込み、十日ごとに四度かもし、酢1石を成す」と製法、材料が明記されています。

伝統的な玄米酢の醸造法がほそぼそと伝えられていた南九州には、和泉酢とはまったく違うルートで大陸から製法が伝来したと考えられています。その名残りを多くの農家で、今は使われずにころがっている酢瓶」にしのぶことができます。

文政年間(約200年前)には鹿児島湾の奥にある福山の地で、酒造家の竹之下松兵衛が米酢の醸造と販売をはじめました。この地は水も気候も酢造りに最適の土地であり、酢造りは大いに繁盛しました。最盛期には福山酢の醸造元は29軒で、酢瓶は1万本を超えました。

天然醸造酢の復権

しかし、昭和の初期には合成酢の出現から醸造酢は全国的に衰退し、戦時下の米の統制により、原料を入手できなくなり、途絶えてしまいました。
米の酢醸造への使用禁止の解かれた戦後も、醸造酢は復活することなく低迷をつづけました。福山でも酢醸造のための「もろみ製造免許」をもつ人はたったの3人に減りました。。

この醸造酢「冬の時代」に、薩摩隼人である黒岩東吾氏をはじめとする先覚者たちによって、醸造酢復活の努力ははじめられました。いろいろな障害を克服しつつ、ついに昭和4年に古来からの天然醸造法による米酢の製造販売が復活したのです。

昭和30年代後半からの「食品公害」「複合汚染」「自然食品ブーム」などの社会現象の影響もあり、天然醸造酢は味と効能の両面で支持を拡大していきました。

いく度かのブームともいうべき健康への関心の高まりを経て、天然醸造酢はその需要を伸ばしてきました。特に昭和63年をピークとする「酢大豆健康法」の人気から、玄米酢(黒酢の生産量だけでも年間4千677 kℓという記録を作りました。
その後も、定着した人気と評価に支えられ、毎年3千kℓを超える安定した需要を保っています。

お酢は、調味料や、健康飲料として、また、消毒殺菌効果の点でもたいへんに古くから活用され、現在でも広くその働きが評価されている人気の高い食品といえます。

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