ストレスを感じているのは脳

ストレスを感じているのは脳 についての情報です。誰でも逃れることができないストレスについてです。お釈迦様が自分の体験から感じたストレスに対する対策。「ストレスには勝てない」と気づくこと、たったそれだけなのです。

ストレスを感じているのは脳 まずはストレスに負ける

ストレスを感じているのは脳

ストレスを感じているのは脳

私たちは、日々さまざまなストレスを感じながら生活しています。言い換えれば、生きている限り、ストレスから逃れることは不可能です。

サラリーマンもフリーターも、主婦も学生も、お年寄りも、みんなそれぞれの生活の中でストレスを感じています。ある人にストレスになっていることでもある人にはストレスでない場合もあります。これに例外はありません。

ストレスというと、私たちはすぐに仕事のプレッシャーや人間関係のトラブルなどかゆ精神的なものをイメージしがちですが、痛みや痺み、寝不足や疲労、空腹やのどの渇き、暑さや寒さなどもストレスです。

私たちの脳は、心身が不快に感じることはすべて、「ストレス」と認識するのです。つまり、毎日仕事が忙しい人や悩みを抱えている人はもちろん、ストレスとは無縁のようなお気楽な人も、誰もが羨むような幸せで満ち足りた生活を送っている人も、人はみな生きているだけで、何らかのストレスを感じているということです。

では、なくすことができない、逃れることができないこのストレスと、私たちはどのようにつきあっていけばいいのでしょう。この間題に、世界で最初に取り組んだのが、仏教の開祖であるお釈迦さまでした。お釈迦さまは、生きることは「苦」だと言って、悟りをひらきました。

この「苦」を文字通り「苦しみ」と解釈してしまうと、人生が苦しいだけのものに思えて厭世的な気分になってしまいますが、「苦」とは、「ストレス」のことだと考ええんせいれば、納得がいきます。人生は「苦=ストレス」だと知ったお釈迦さまは、出家してさまざまな苦行を行っています。

そして六年後、苦行で人は救われないとして苦行をやめ、菩提樹の木の下で静かに座禅をし、悟りに至ります。でも、お釈迦さまはなぜ六年も苦行をしたのでしょう。

私は、この 6 年間、お釈迦さまはストレスと徹底的に戦ったのではないかと思っています。自分の体を使った壮大な「ストレス実験」です。おそらく、自分の肉体を徹底的にいじめ抜くことで、人間に秘められたストレスを像を絶するようなストレスを味わうことで、ストレスに対する「免疫」をつけようと考えたのだと思います。

でも、残念ながら、結果は完敗でした。人間にそんな力はなかったのです。どんなに頑張っても、人はストレスに打ち勝つことはできない。これが六年間苦行を積んだお釈迦さまの結論だったのです。ただ、お釈迦さまのすばらしいところは、それだけでは決して終わらなかったことです。

実はこのとき、お釈迦さまはもう1つ、とても大切なことを悟ります。それは、どんな「苦=ストレス」も永遠には続かないということでした。仏教でいう「諸行無常」ですね。すべてのものは変化し変わらぬものは何もない、というのは、ストレスにも当てはまるのです。

たとえば、タンスの角に足の小指を引っかけたとき、その瞬間はとても激しい痛みを感じます。でも、その痛みは一瞬のもので、時間の経過とともに少しずつ軽減され、やがて消えていきます。いずれ消えてしまうものなら、無理にそれと戦うのではなく、ストレスにじっと寄り添って消えるのを待とう。これがお釈迦さまの到達した境地でした。

ずいぶん消極的だと思うかもしれませんが、これが六年間もストレスに真正面からしんし向き合った結論なのですから、私たちは実勢に受け止めなければなりません。ストレスを受けたときに、しっかりと対応できる人と押しっぶされてしまう人がいますが、その最も大きな違いは、「ストレスには勝てない」と気づくこと、たったそれだけなのです。そして、それに気づいた人こそ、ストレスを「受け流す」ことのできる人となるのです。

海底数千メートルにおける ストレス

当時、スキューバダイビングをしていた頃、とある研究の一環としてテストダイバーの役をかって出たのです。模擬実験とはいえ、内容は海底3000 メートルの場所で3週間過ごすというものでした。そしてこの体験が、私にとって、大きな転機となったのです。

生きていくことは「苦= ストレス」であり、ストレスに対してはただそれが消えるまでじっと寄り添って消えるのを待つことしかできません。厳しい現実ですが、この現実を受け入れないと、ストレスとの上手なつきあいは始まらないと考えるようになりました。

これは、何も私がお釈迦さまのことだけから判断しているわけではありません。実は、私自身も、ストレスに押しっぶされるような日々を経験して気づいたことでした。その中でも、海底3000メートルで過ごした3週間は、今も忘れられません。

3週間といっても実際に海底にいたのは1週間で、海底まで行くのに1日、そして海底から地上に戻るまでに2週間かかります。これは地上まで一気に戻ってしまうと、水圧の違いから「潜水病」になってしまうからです。海底の暮らしは1週間とはいえ、想像していたよりもずっと過酷で、とても人が住めるような環境ではありませんでした。

室温が 1 度がるだけで汗がびっしょりになり、室温が 1 度下がるだけで今度は震えるほど寒くなるのです。食事は地上で料理したものを「圧縮」してタンクから運ばれましたが、何を食べても「歯にくっつくような感じ」がして、とても食べた気持ちにはなれません。

吸っている空気も地上のものとは明らかに異なっているため、少なからず、確実に、たストレスは溜まっていきました。1間がたち、2週間、3週間と、本当に長い時間が過ぎ、ようやく地上に出たときには、心身は疲弊しきって鼻血が出ていることにも気づかない始末でした。

海底に潜ったときには、「人間は海底というストレスフルな環境にも住めるかもしれない」という可能性を信じていたのですが、そんな思いはすぐに消え去りました。そして、「人間は人間でしかない。ストレスには勝てないし、いくらストレスを経験しても、免疫力がつくわけでもない」ということを痛感したのです。その経験があるからこそ、今はストレスを受け流して生きているように思います。みなさんの中には「ストレスには勝てない」という現実を実感できない人もいるかもしれません。しかし、わざわざストレスに立ち向かうことは、決しておすすめいたしません。負けるだけです。私は40年近くたった今でも、あのときのことを思い出してしまいますが、そのたびごとに思うのは、「死ななくてよかった」、ただそれだけです。

ラットは死を選ぶ

ストレスはやがて消えると言いましたが、現実には、身近な人との人間関係や職場のストレス、病気による痛みなど、なかなか消えてくれないストレスもたくさんあります。もし、ストレスが長く続いたら、生き物はどうなってしまうのでしょう。

20世紀の初頭、この間題に取り組んだハンス・セリエというカナダの免疫学者がいます。彼はラットを使った実験で、さまざまなストレスが生き物にどのような反応を引き起こすのか検証しました。
彼がこの実験を行ったのは、まだ「ストレス」という言葉が認知される以前のことでした。実はストレスという言葉は、セリエの提唱した「ストレス学説」によって初めて認知されるようになったものなのです。

彼はもともとホルモンの研究をしていたのですが、その中で、生物が刺激の種警問わず、不快な刺激を受け続けると、ある共通のホルモンを出すことを発見しました。

実は、このホルモンこそ、現在「ストレスホルモン」といわれているものなのです。ストレスを感じると、生体はストレスホルモンを出します。では、ストレスが繰り返され(あるいは長時間続き)、ストレスホルモンがずっと出続けたら、その生き物はどうなってしまうのでしょう。セリエはラットにさまざまなストレスを加え続けることで、それを調べたのです。

  1. 雪の降る寒い冬の夜に、ラットを入れたゲージを屋上に置きっばなしにする。
  2. 一定の間隔でラットに電気刺激を与え続ける。
  3. ラットを強制的に泳がせ続ける。
  4. 板にラットを磔にしておく

結果はどれも同じでした。ラットは死んでしまうのです。ストレスが与えられた当初は、どの実験でもラットは激しく抵抗します。何とかしてストレス状態から脱しようとするのです。しかし、どんなに抵抗してももがいても、ストレス状態から脱することができないとわかると、ラットはやがて何もしなくなります。

何もせずに、ただじっとストレスに耐えるのです。強制的にラットを泳がせ続ける実験では、最初ラットは出口を求めて必死に泳ぎます。ときには水の中に潜ってまで出口を探します。でも、しばらくすると泳ぐのをやめ、エネルギーの消耗を防ぐため、じつと動かなくなります。

そうして、状況が好転し、逃げられるようになるのをじっと待ち続けるのです。もちろん、この状態でもストレスから解放されれば助かりますが、ストレスが続けば、やがて死に至ります。調べてみると、ストレスが加わってから死に至るまでの間に、実験の種類にかかわらず、すべてのラット体に、「胃潰瘍」「胸腺・リンパ腺の萎縮による免疫力の低下」「副腎皮質の肥大」というまったく同じ3つの反応が生じていたことがわかりました。

これが後に「セリエのストレス三兆候」としてまとめられる、生体がストレスを受けたときに生じるストレス反応です。この三兆候は、人間においてもまったく同じことが起きることがわかっています。よくストレスで胃潰瘍になるといわれますが、ストレスが続けばどんな健康的な人でもそうなるのです。

心と体でストレスの流れは異なる

セリエの実験によって、ストレス状態が長期間続くと、生体はやがて死んでしまうことがわかりました。そしてその際、「胃潰瘍」「胸腺・リンパ腺の萎縮による免疫力の低下」「副腎皮質の肥大」といった、さまざまなダメージを身体にもたらすこともわかりました。

では、なぜストレス状態が続くと、副腎皮質が膨れてストレスホルモンが出るのでしょう。調べていくと、脳の下垂体というところから、ACTHという副腎皮質を刺激するホルモンが出ていることがわかりました。

では、なぜ下垂体がそうしたホルモンを出すのでしょうか。身体の中で起きる反応を遡って調べていくことで、ストレスによって身体が病気になっていくメカニズムが次第に明らかになっていきました。今では身体的ストレスが加わったとき、身体の中のどこでどのような反応が起き、最終的にどういった病気になるのかという「ストレス経路」がわかっています。

これにより、今までは曖昧だったストレスと痛気の関係が明らかになりました。身体が最も強く反応する身体的なストレスは「痛み」です。痛みは「情報」として、身体の中に張りめぐらされた神経を通って、まず脳の視床、そこから、大脳皮質あるいは大脳辺緑系を介して、ストレス中枢である視床下部・室傍核に行きます。

情報を受け取った室傍核は、CRHという副腎皮質刺激ホルモン放出ホルモンを出します。ちょっとややこしい名称ですが、「副腎皮質を刺激するホルモン」を出せと命令するホルモンを出すということです。このホルモンが下垂体を刺激し、ACTHという副腎皮質刺激ホルモンを出します。そして、このホルモンが副腎皮質を刺激することによって、副腎皮質の肥大とストレスホルモン「コルチゾール」の分泌が起きるのです。

この副腎皮質ホルモン「コルチゾール」の大量分泌が、高血圧や糖尿病を引き起こし、病気をつくり出していくのです。一方で、副腎皮質ホルモンというのは、薬にも用いられる物質です。皮膚科で火傷やアトピー性皮膚炎の治療に用いられる「ステロイド」も副腎皮質ホルモンです。

つまり、副腎皮質ホルモンは、身体には必要な物質なのですが、出すぎると高血圧や糖尿病、骨をもろくするなど、かえって身体に悪影響を及ぼしてしまうのです。身体的ストレスが、こうした「ストレス経路」をたどることによって、私たちの身体に病気をもたらすことがわかりました。

しかし、ストレスによって生じるのは、もちろん身体の病気だけではありません、ストレスによって精神的な病気が起きることも私たちは経験的に知っています。特に最近、社会問題にまで発展するほど急増している「うつ病」などは、ストレスがその大きな原因の1つだといわれています。

しかし、ストレスホルモンが出る経路では、うつ痛の発生を説明することはできません。多くの研究家が最初は、ACTHやコルチゾールといったホルモンが、うつ病に関係する神経に何らかの影響を与えているのではないかと予測して調べを続けていたのですが、いくら調べても、この予測を裏付けるデータは出てきませんでした。

いったい、ストレスはどのような経路をたどって、うつ病を引き起こしているのでしょう。これは近年になってわかってきたことですが、実はストレスが精神に影響を与える経路は、身体への影響経路とはまったく別にあったのです。

スタートが脳の中の視床下部であることは同じですが、精神への経路はそこから下垂体へは行かず、直接脳の中の脳幹部分、具体的に言えば「縫線核」という部分に影響を与えていたのです。つまりストレス経路には、視床下部から下垂体へ行く「身体的ストレス経路」と、視床下部から脳幹・縫線核へ行く「精神的ストレス経路」という2つのストレス経路があったのです。

脳幹というのは、脳の中でも最も深い部分に位置し、人間の生命維持にかかわる働きを担っている部分です。その脳幹のほぼ真ん中に位置する縫線核は、うつ病やパニック障害など、精神的な病気と深いかかわりを持つ「セロトニン」という神経伝達物質を出すセロトニン神経のある場所です。

視床下部から縫線核にストレス情報が伝わることによって、セロトニン 神経の働きが阻害されます。そしてうつ病やパニック障害といった精神的な病気が生じていたことがわかったのです。セロトニン神経というのは、セロトニンという物質を使って情報を伝達している神経ということです。

これこそがストレスに立ち向かうための「特効薬」なのです。ここではセロトニン神経の働きが弱くなると、精神的な病気を引き起こしてしまう、ということだけ覚えておいてください。ここで注目すべき点は、精神的ストレスの正体は、「神経伝達物質を通して脳が感じるストレス」だったということです。

精神的ストレスの経路がわかったことにより、そのストレスを抑制するための機能もわかってきたのです。それでも「精神的ストレス」という名称のために、どんなストレスなのか具体的によくわからない、治療法も人それぞれではないか、という印象が少なからずあるように思います。

そのため、私は副腎皮質を経由する身体的ストレスに対して、精神的ストレスのことを「脳ストレス」と呼んでいます。精神的ストレスは、脳が感じるストレスであるということ、そしてそのストレスをコントロールする機能が確かにあるということを、少しでも理解してほしいという思いから命名いたしました。「脳ストレス」という言葉が、もしみなさんの口から自然に出てくるようになれば、それは、精神的なストレスを解消するための第一歩を踏み出しているということに他なりません。

動物もうつになる

身体的ストレスについてはお話ししましたが、もう1一つのストレス、「脳ストレス(精神的ストレス)」に対しては、私たちの身体はいったいどのような反応をするのでしょうか。実は、脳ストレスに対しても、生体は、身体的ストレスとまったく同じ影響を受けることがわかっています。

つまり、身体的ストレスでいうところの「高血圧」や「糖尿病」といった症状が表れるのです。このことがわかったのも、セリエによるラットの実験のおかげでした。よく精神的なストレスは、人間だけが感じるもののようにいわれていますが、それは違います。ラットのような小動物も、精神的なストレスは感じているのです。

それは、次のような実験によって立証されました。まず、2匹のラットをそれぞれ別々のゲージに入れ、ゲージを並べた状態で、片方のラットだけに電気刺激という身体的ストレスを与えます。つまり、身体的ストレスを与えられるのは、

一方のラットだけで、もう一方のラットは、身体的刺激は何も受けません。でも、すぐ隣のゲージでは、電気刺激を受けているラットが悲鳴を上げ、脱糞するという大変な状態を繰り広げています。もう一方のラットは、それをずっと見せられ、カ悲鳴を聞かされ、漏らした糞尿の臭いを喚がされ続けるのです。

人間だったら、これは耐えられない精神的ストレスです。それは、ラットも同じでした。つまり、何も身体的刺激を受けていなくても、そうした環境に置かれただけで、ラットは実際に身体的ストレスを加えられたときとまったく同じように、ストレス経路が動き出していたのです。ただし、この実験でわかったのは、動物も精神的ストレスを感じ、それによって身体的ストレスを感じたときと同じように病気になり、ひどいときには死に至ることもあるということだけです。精神的ストレス回路については、脳の働きを調べることによって最近わかってきたことなので、脳の構造の違う動物を使った実験では、きちんと証明することはできなも感じられるものの他に、「脳を発達させた人間だからこそ感じるストレス」というものもあるので簡単には証明できないのです。

それに、言で精神的ストレスと言っても、人間の場合は、ラットのような動物にも感じられるものの他に、「脳を発達させた人間だからこそ感じるストレス」というものもあるので簡単には証明できないのです。ただ、身体的、精神的、いずれのストレスでも、それが肉体的、精神的病気の引き金になっている、このことは疑いようのない事実なのです。

人間の2大ストレスは「依存症」と「逆恨み」

人間ならではのストレスとは、いったいどのようなものがあるのでしょうか。私は、特徴的なものとして次の2つがあると考えています。

  1. 快が得られなくなることによって生じるストレス
  2. 自分が相手のためにと思ってしていることが、正当に評価されないことによって生じるストレス

まず1つ目の「快が得られなくなるストレス」ですが、これは人間にとってよくあるストレスであり、かつ、とても大きなストレスです。たとえば、パチンコで大当たりして玉がたくさん出るのは、気持ちのいいものです。つまり、「快」ですね。ところが、どんな大当たりでも玉が永遠に出続けることはありません。いずれ玉は出なくなります。すると、それまで大きな快を得ていただけに、玉が出ないことが「不快」つまり「ストレス」になってしまうのです。思い出してください。

お釈迦さまは、ストレスは永遠に続かないと「無常」を曹ました。しかし、それは同時に「快」も永遠には続かないということでもあるのです。ストレスの場合は、なくなれば楽になるのでまだいいのですが、快の場合は、なくなるとそれが「ストレス(不快)」になってしまいます。

アルコールという「快」を得すぎたために、アルコールがないとイライラしてしまう人1 。そのストレスの大きさは計り知れません。性や暴力の快に没頭する人もいれば、インターネットやゲーム、買い物に没頭する人もよく耳にします。
アルコール依存症についてはこちら。

これが厄介なのです。なぜ厄介かというと、失った快を求める気持ちが強くなりすぎると、「依存症」という病気になってしまうからです。失った快に執着しすぎ、心のコントロールが効かなくなった状態、それが「依存症」です。そして、これは誰もがなりうることなのです。

なぜ?私をほめてくれないの?

もう1つの「自分が相手のためにと思ってしていることが、正当に評価されないことによって生じるストレス」もなかなか厄介なストレスです。なぜなら、これは自分1人では解決するのが難しいストレスだからです。しかも、程度の差こそあれ、このストレスはほとんどの人が経験しているものです。

たとえば、毎日家族のことを思って家事をしているのに、「ありがとう」の一言も言ってもらえない主婦。上司やクライアントのために徹夜までして仕事をしたのに、評価してもらえなかったサラリーマン。また、一生懸命勉強しているのに、もっともっとと言われてしまう受験生。恋人のことを考えて選んだプレゼントを、気に入って3 6もらえなかった彼(彼女)みんなこの「正当に評価されない」というス.トレスを感じています。ただ、自己評価と他者評価の間にギャップが生じるのは、ある意味仕方のないことなのです。

必ずしも自分が悪いわけでも、相手が悪いわけでもありません。ここをはき違えることで、つい、「逆恨み」のような言い争いに発展してしまうのです。だからこそ、解決することが難しいのでしょう。私は、お釈迦さまは偉大なストレス研究家だと思っているのですが、そのお釈迦さまは、弟子に「苦は3つある」と教えています。

それは、

  1. 痛みのような単純な苦
  2. 快が満たされない苦
  3. 他者に認められない苦

の3つ。まさに身体的ストレスと、人間ならではの脳ストレスの2つを見事に指摘していたのです。でも、お釈迦さまがすでにこうしたストレスを指摘していたということは、考えてみれば、人間は当時から約2500年もの間ずっと、同じストレスに悩まされ、結局何1つ克服できずにいるということでもあるのです。

怒りっぽい人は朝より夜にキレる

最近、電車の中でキレる人を見かけます。少し前までは、電車の中で暴れるのは酔っぱらいか、普段から暴力的な人と相場が決まっていました。でも、最近は違ってきています。しかも、普段はとてもおとなしく、礼儀正しい人なのに、ついカツとしてキレてしまったという人がとても多いのです。

受けたストレスをコントロールすることができず、感情を爆発させ、普段では決してしないような行動をとってしまう、これがいわゆる「キレる」という状態です。この「キレる」という行為、原因を簡単に言うと「ストレス」です。「そんなの当たり前じゃないかJ と思う人もいかかもしれません。

かし脳科学的にいえば、少し話は違います。ストレスがかかったとき、普段なら脳はそのときの神経経路を別のものに切り換えて、暴走を防ぐのですが、その「切り換え」ができなくなって暴走してしまう。まさに脳ストレスの蓄積による症状です。
これがキレた状態といえます。

では、普段なら切り換えられる脳のスイッチが、なぜ切り換えられなくなってしまうのでしょう。キレてしまった人の多くは、「自分でもよくわからないのですが、ついカッとなって…」「あのときに限って、どうにもがまんができなくて…と言います。

つまり、普段はそれぐらいのことではカッとならないし、がまんもしているということです。では、なぜ普段していることができなくなるのか?そこには何か原因があるはずです。私は、これはまさに「セロトニン神経」の機能低下が原因だと考えています。

セロトニンは脳に静かな覚醒をもたらします。これは別の言い方をすれば「平常心」をもたらすということでもあります。平常心を保つというのは、脳の切り換えがスムーズに行われ、どこも暴走も興奮もしていない状態のまま、スムーズに働いているということです。

さらに、セロトニン神経の機能が低下すると、その生き物は残虐な行動をとることも動物実験で明らかになっています。

これはラットを使った実験ですが、セロトニン神経を破壊したラットとマウスを一っのゲージに入れておくと、普通、ラットはそんなこと決してしないのですが、マウスをかみ殺して食べるという残虐行為を見せるのです。

そして、その残虐になってしまったラットに、セロトニンを補給すると、いつものおとなしいラットに戻り、残虐性はウソのように消えてしまうのです。このラットの症例をそのまま人間に当てはめることはできませんが、セロトニン神経の機能が低下すると、感情や精神状態を普段の冷静な状態にキープすることが難しくなることは充分に推測できます。

そしてこのことは、キレる人が朝の満貞電車よりも、夜の帰宅時に多いということからも証明されます。

通勤列車における単純な身体的ストレスでいえば、帰宅ラッシュよりも朝の出勤ラッシュの方が、時間帯が集中する分ハードです。にもかかわらず、朝からキレる人はほとんどいません。これは朝の方が、セロトニン神経が活性化しているからです。

1日社会で生活すれば、上司に怒られたり、同僚からグチを開かされたりと、さまざまなストレスによってセロトニン神経は弱ります。その弱り切ったセロトニン神経ではストレスに耐えきれず、負けてしまう。それが夜の方が「キレる」人が多い理由だと思います。

ストレスに対抗する手段はひとつではない

「ストレスには勝てない」

ストレスが続けば生き物は死んでしまうのですから、間違いなくそれは真実です。

でも、それだけでは人はあまりにも無力だと思いませんか。ストレス実験で動かずに、ただじっとしているラットと何ら変わりありません。私たちは本当に何も対抗策はないのでしょうか。結論から言いましょう。私たちに対抗策はあります。
しかも、1つではありません。ストレスに対して有効な方法を、私たちは自分の状況に沿って選択できるのです。

たとえば、ストレス研究の先駆者であるお釈迦さまは、1つの方法を私たちに教えてくれています。お釈迦さまが教えてくれた「苦=ストレス」への対抗策、それは「座禅」を組むことです。6六年間も苦行をしたのに悟りに至れなかったお釈迦さまが、座禅によって悟りに至ったのは、脳科学的にみると決して偶然ではないのです。実は座禅によって、お釈迦さまは、脳のとても「大切な部分」を活性化させていたのです。

座禅というとただ座って瞑想しているだけのように思われるかもしれません。

もちろん慧首とても有意義な活動の1つです。しかし、座禅で最も大切なのは「呼吸」です。腹式のゆっくりとした呼吸を意識して規則正しく繰り返す、それが、座禅における呼吸法なのです。実は、こうしたゆっくりとした腹式呼吸を妄時間続けると、脳の「大切な部分」に変化が表れるのです。その変化が表れる場所というのが、うつ病やパニック障害と深いかかわりを持つ「セロトニン神経」です。

一定のリズムを刻む運動を「リズム運動」といいます。腹式呼吸も、腹筋を一定のリズムで動かすので、リズム運動の1つです。

セロトニン神経は、そうしたリズム運動によって活性化するというおもしろい特徴を持った神経なのです。セロトニン神経が活性化するというのはどういうことかというと、具体的に言えば、セロトニンという神経伝達物質の量が増えるということです。このセロトニンには、「クールな覚醒」といって、脳の状態を、落ち着いた状態でありながら非常にクリアにするという効果があります。お釈迦さまが座禅によって悟りに至ったのも、こうした静かな覚醒のおかげと考えられます。

また、セロトニン神経が活性化することによって、うつ病やパニック障害といった精神的な病気になりにくくなるだけでなく、物理的な痛みにも強くなることがわかっています。その上、精神的に「クールな覚醒」がもたらされれば、ストレスに対しても冷静な判断や対処ができるようになるのです。

それでも、それだけでは、ストレスに対して絶対的な強さを持つ対抗策だとはいえません。どんなにセロトニン神経が活性化していても、強いストレスが襲ってくれば、ストレス経路は動き出し、私たちの身体も心も病んでしまうからです。

セロトニン神経の活性化は、強いて言うなら、「ストレスを上手に受け流すよう心身の準備を整える」ということだと思います。しかし、整えるだけでも、セロトニン神経を普段から活性化させていれば、多少のストレスなどスルッと受け流すことができるのですから、するとしないとでは大違いです。

ただ、この機能は、ラットなど他の動物にも基本的には備わっている能力です。この機能を充分に発揮させ、セロトニン神経を高めることができれば、私たち人間だけでなく、生物はかなりのストレスを受け流すことができるようになります。

おそらく、この能力は、生き物が進化する過程で獲得した、とても基本的な能力だからなのでしょう。でも、思い出してください。人間には他の動物にはない「精神的ストレス」があるのです。他の動物より感じるストレスが多いのに、できるのは同じセロトニン神経の活性化だけというのは、少し不公平な気がしませんか。

実は、これは私もセロトニン神経を研究している過程で気がついたのですが、人間にはもうひとつ、他の動物にはない「抗ストレス能力」が備わっていたのです。しかもそれは爆発的な効果を持つ、秘密兵器のようなものでした。

それは「涙」です。涙なんて他の動物でも流すじゃないか、と思うかもしれませんが、涙には3つの種類があり、その中には人間にしか流すことのできない「涙」があるのです。そして、それこそが、脳の中のストレスを-気に洗い流してくれる秘密兵器だったのです。

その、人間にしか流せない涙とは、「情動の涙」と呼ばれる涙です。類人猿の中でも高い知能を持つチンパンジーは、人間と99% の遺伝子が一致するといわれていますが、そのチンパンジーですら「情動の涙」を流すことはできません。
嬉しいとき、悲しいとき、感動したとき、そして他人に同情したとき、人は涙を流します。私たちは何気なく泣いていますが、これは生物学的にみると、人間にしかできないとてもすごいことなのです。



大声出してストレス発散「叫びの壷」

脳の発達=ストレスのはじまり

では、なぜ人間だけが「情動の涙」を流せるのでしょう。人間だけが情動の涙を流せるのは、他の動物にはない脳を人間が持っているからです。それは、「前頭前野」と呼ばれる脳です。前頭前野というのは、脳の中ではとても新しい部分で、人間への進化の過程で生まれた脳です。

他にも前頭前野を持つ動物はいるのですが、人間ほど発達した前頭前野を持っている生き物はいません。だからこそ、涙を流せるのは人間だけなのです。先ほど、人間だけが感じる精神的なストレスが二つあることをご紹介しました。

「快が得られなくなるストレス」と「他人に認められないストレス」です。人間だけがこの2つをストレスと感じるのも、実はこのストレスが前垂削野の発達と関係しているからなのです。つまり人間は、前頭前野という脳の領域を発達させたことによって、他の生き物では感じないストレスを感じるようになってしまった。だが、それと同時に、他の動物にはないとても効果の高い「抗ストレス能力」もまた、手にしたということです。

私たちは、涙を流した後は気持ちがスッキリとし、精神的にも楽になることを経験的に知っています。でも、それがなぜなのかは長い間わかっていませんでした。つまり、私たちはこれまで、人間特有のストレスは受け続けながら、人間特有の抗ストレス能力にはまったく気づかずに生きてきたのです。

実は、泣くとスッキリするのは、脳の中で「ストレス状態からリラックス状態へ」という、決定的な「スイッチング」が行われているからなのです。人間にこうした能力が備わっているというのは、とても大きな福音です。

私たちの生活は、多くのストレスに満ちています。そして、繰り返しますが、そのストレスに勝つことは、できません。それは、私たちの身体がそういうふうにできているのですから仕方のないことです。また、「脳ストレス」という意識をいつまでも持たないでいると、「心のストレス」という得体の知れないストレスに悩み続けることになりかねません。

しかし、意識さえすれば、私たち人間には、優れた2つの抗ストレス能力が備わっているのです。もちろん、それが脳ストレスを「消す」ためのキーワードになります。1つは、セロトニン神経を活性化させることで得られる「ストレスを受け流す力」。

もう1つは、人間にしか流せない情動の涙を流すことによって得られる、「ストレスをリラックスに変えるスイッチング能力」です。この2つの能力を上手に活用しながら、ストレスと寄り添って生きていくこと。それこそが、人間がその人生を幸せに歩むための、最もよい方法だと私は考えています。
ストレス

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